Prokofiev 交響曲第1番 ニ長調「古典」作品25/
交響曲第5番 変ロ長調 作品100/
ロシア序曲 作品72(ジャン・マルティノン/フランス国立放送管弦楽団)


VOXBOX CDX5001 Prokofiev

交響曲第1番ニ長調「古典」作品25
交響曲第5番 変ロ長調 作品100
ロシア序曲 作品72

ジャン・マルティノン/フランス国立放送管弦楽団

VOXBOX CDX5001 1971年頃録音

 9年ぶりの拝聴。昔の自分の文書を見るのは恥ずかしいものです。一方で直截に自分の感じたまま素直な感受性の劣化も自覚いたします。これは往年の仏蘭西の巨匠Jean Martinon(1910ー1976)の記録、こうしてみると66年という定命(じょうみょう)はいかにも短いと嘆息いたします。あと15年ほどなんとかならんかったのか。失意のシカゴ時代(1963-1968年)を経、帰国して国立放送管弦楽団の首席を務めていた頃(1968-1974年)の録音。大手メジャーであったEMIが「売れんから」と断った企画を、米VOXに持ち込んで実現した交響曲全集録音とか。久々の拝聴は”そこそこ、まずまずの音質”〜記憶通り。

 交響曲第1番ニ長調「古典」は作曲者26歳の作品。わずか13分ほど、これは他の演奏と比べても速めのテンポに感じます。古典的2管編成、第1楽章「Allegro」は溌溂と躍動して快活明晰な旋律とリズムが愉しいもの。ウキウキしますよ。(3:38)第2楽章「Largetto」はノンビリとした三拍子が優雅な風情(3:45)第3楽章「Gavotta;non troppo Allegro」は飾りのない舞曲が大仰な表情。Menuettより更に昔のスタイルを狙ったものとか(1:29)第4楽章「Molto vivace」は忙しない躍動と疾走(4:01)古典的な風情を纏いながら、モダーンな味付けやら変化、既にProkofievの熟達した技法が駆使されて、オーケストラもけっこう演奏至難と類推されました。

 かつて”オーケストラの技量は上々”と書いていて、例えば木管の華やかさ、颯爽としたマルティノンの統率に文句はないけれど、ちょっぴり流したっぽい演奏かな?と。

 交響曲第5番 変ロ長調はここ数年お気に入り。拝聴機会も多くて、昔なじみのマルティノンをすっかり忘れておりました。初演は1945年、上記「古典交響曲」(+「ピーターと狼」!)と一緒の演奏会だったんですね。(ラジオ中継され大成功とはWiki情報より。為政者ウケ狙いする演目並べたのか)三管編成+ウッドブロック、タンブリン、トライアングル、小太鼓、シンバル、大太鼓、タムタム、ティンパニ、盛大な打楽器群にハープ、ピアノも加わって賑々しいもの。4楽章の構成もある意味古典的なものか。破壊的な野蛮さもいつになく抑制されております。

 第1楽章「Andante」は朗々と前向き、意欲に溢れた重い楽章。さっそく打楽器の多彩な響きが迫力充分、3/4拍子だけど一筋縄ではいかなさそうな、きっと難しい楽章なんでしょう。こちらVOXとは昔なじみだからどうしても音質評価甘くなりがち、金管の厚み、打楽器の色彩はもっと良好な音質で堪能すべきでしょう。マルティノンのセンスはモダーン、緊張感集中力に溢れかえって良い。(11:46)第2楽章「Allegro marcato」は軽快に躍動するスケルツォ。ユーモラスであり、流れ良く細かい音形旋律が疾走します。ニ短調〜ニ長調(トリオ)リズミカルに進んでややシニカル、やがて〜ニ短調に戻ってテンポは崩れて、じょじょにもとの熱気が戻って・・・わかりやすいリズムでっせ。この軽快さ、自在な流れの抑制はマルティノンならでは。(8:09)

 第3楽章「Adagio」はヘ長調の緩徐楽章。これが短調だったら苦いShostakovichでっせ。もっと大仰に重苦しく仕上げることは可能なところ、マルティノンは意外とさっぱり、流した表現なのか。(10:28)第4楽章「Allegro giocoso」。遠くささやくような短い序奏、第1楽章の回帰からやがて、ヴィオラが呼び水となって快活な主部へ。ここ滅茶苦茶カッコ良いところ。剽軽な旋律は次々と種々管楽器に受け継がれ、リズムは熱狂しノリノリ、各種打楽器の晴れ舞台に大活躍、ところが妙にすとんと終わっちまうのは作曲者の確信犯か。大仰に立派に朗々に仕上げずに、まぁ今回はこのくらいで勘弁したるわ風、終結も素っ気ない。第2楽章のスケルツォ、そしてこの第4楽章の打楽器乱舞がお気に入り。ここも力まず、わざと流した感じか。(9:45)

 仏蘭西のオーケストラはアンサンブルが云々とか、そんな評価もあったけれど、これを聴く限り”オーケストラの技量は上々”。自身も察許可でありモダーンな作品を得意としたマルティノンの面目躍如な記録でしょう。音質云々はやがて気にならなくなる・・・とは前回と同じ印象でした。ロシア序曲は前回同様の印象、賑々しい変化に飛んだ硬派作品、たっぷり愉しみました。「3つのオレンジ」辺りあの雰囲気。(13:18)

(2020年1月4日)

 Prokofievとは少々疎遠で、熱心な聴き手とは言えぬ不良音楽ファンであります。著名なる交響曲第5番、ピアノ協奏曲第3番ハ長調だって、若い頃はウケ狙い作品(!?)っぽく聴こえて好きではなかった。やがて幾星霜、馬齢を重ねるとシニカルで硬派な旋律リズムが妙に心に染みる今日この頃、彼の音楽に対峙すべき時期がやって参りました。LP時代より馴染みのVOX録音は、かつて劣悪なる音質に悩まされた記憶もあります。1975年に亡くなったマルティノン最晩年の録音。まぁまぁの音質でしょう。ちょっと響きが濁るのも懐かしい記憶也。作品が進むにつれ、それも気にならなくなります。

 誰も知っている、擬古典的名曲交響曲第1番 ニ長調「古典」は颯爽と速めのテンポにて開始されました。第2楽章「ラルゲット」もさらりとして粋な味わい、第3楽章のメヌエットも品のある舞曲に仕上がっております。オーバーアクションなるテンポの動きも少ない。最終楽章は快速パッセージの木管が華やかで美しい。洗練され、力みはどこにもない。ま、もとより力むような作品じゃありませんから。オーケストラの技量は上々であります。

 交響曲第5番 変ロ長調は、(たしか)カラヤンのCDで出会ったんです。これが全然アカンかったような、ユルく盛り上がらなかった記憶有。現在なら是々非々で聴ける寛容を身に付けたが、あちこち苦手系音楽に至った遠因はカラヤンにあったのかも・・・今聴いたらわかりませんよ、どんな感想になるのか。 これがマルティノンの手に掛かると(先ほどの第1番同様)颯爽と粋な作品に聴こえるから不思議なものです。第1楽章「アンダンテ」は陰影と頻繁なる転調に溢れた、カッコ良い旋律続きます。響きは明晰、重苦しさを感じさせない。静謐に開始され、やがて諄々と響きの厚みと幅を増していきます。

 第2楽章「アレグロ・モデラート」は落ち着きのないスケルツォであって、どこか近代工場のオートメーションを連想させます。軽妙なるリズム感、木管の多彩な響き、アンサンブルは極めて優秀であります。途中テンポが遅くなって剽軽ユーモラスな旋律は継続するが、どこか不安、シニカルであります、これぞProkofievの個性でしょう。やがてテンポは快速に復旧して〜突然終わっちゃう。走り疲れ、電池が切れたロボットみたい。

 第3楽章「アダージョ」。悲劇的であり、ややつかみどころのない弦の旋律が主体が続きます。やがてそれは管楽器、打楽器が加わって葬送行進曲風に。それはありきたりのリズムじゃなく、妙につっかかったり、激昂したり(金管打楽器を伴ってそうとうな迫力)複雑な味わいを伴っておりました。シンプルな哀しみでも安寧でもない、一筋縄でではいかぬ緩徐楽章也。やはり不安か。

 第4楽章「アレグロ」ってカッコ良いリズムですよね。静謐なる序奏は即終了、印象的な木管の旋律(ユーモラス?不機嫌のような・・・)〜弦に引き継がれ、快速ノリノリに音楽は進んでいくが、爆発はなかなかやってこない。小走りに、あちこちエピソードを振りまきながら安易なる大団円とはしないところがProkofievでしょう。マルティノンは精密かつ繊細なアンサンブルで、各パートの響きを混沌とさせない。この作品にはウッドブロック、タンブリン、トライアングル、小太鼓、シンバル、大太鼓、タムタム、ティンパニ、ハープ、ピアノ多彩なる打楽器が含まれるんだけれど、ここではあまり表に出ないというか、バランス最優先にてコントロールしているのでしょう。ラスト、打楽器勢揃いで盛り上げて全曲を終了。

 これは、もっと粗野に、ド迫力に仕上げる手もあったでしょう。音質は第1番より聴きやすい。

 ロシア序曲は変拍子、頻繁にテンポが変わる賑々しい、派手な13分ほどの作品。愉しいですよ。4管編成に+ピアノといった大柄な作品です。1936年作曲とのことだから「ロメオとジュリエット」と同時期か。

(2011年9月17日)

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written by wabisuke hayashi