Poulenc 模範的な動物/牝鹿/
オーバード(ジャン・ピエール・アルマンゴー(p))


NAXOS 8573170
Poulenc

ピアノによるバレエ組曲「模範的な動物」(グラント・ヨハネセン編)
夜明け/熊と二人の仲間/セミと蟻/恋するライオン/中年男と二人の花嫁候補/死神ときこり/2羽の雄鳥/昼食
バレエ音楽「牝鹿」
序曲/ロンド/アダージェット/ラグ−マズルカ/アンダンティーノ/フィナーレ
バレエ音楽「オーバード」(夜明け)
トッカータ/レチタティーヴォ、ディアーヌの仲間たち/ロンド、ディアーヌと仲間たち/ディアーヌの化粧室/レチタティーヴォ/「ディアーヌのヴァリアシオン」への序奏/アンダンテ、ディアーヌのヴァリアシオン/ディアーヌの絶望/ディアーヌの別れと出発

ジャン・ピエール・アルマンゴー(p)

NAXOS 8573170 2013年録音

・・・相変わらず腰の定まらぬ音楽への接し方な日々、これだけは言及しておかなくっちゃ。AmazonHMVとも同じ方が同じ酷評をしていらっしゃる。たしかにかっちりとしたテクニック、芯のある音色に非ず、著名な「牝鹿」は馴染みの管弦楽版に比べ、かなりユルい味わい系になっているのも事実でしょう。でもね。「模範的な動物」(以前は「典型的動物」って硬質な直訳やったなぁ)の小粋な旋律の味わい、鼻歌でも歌いながら弾き進む風情は妖しくも愉しいこと!雰囲気はChabrierとかSatieのイメージと重なって、すっかりお気に入りとなりました。快速なところで弾き切れていなくて、細部曖昧に崩していても。

音が厚めのパートや速いパッセージは耳を覆いたくなる。 全く指が回らないし、とにかく「よれよれ」
同じ事実を感じても、出来上がった音楽に対する情愛は別のもの。あまり話題にならぬCDを執拗にあちこち同じ批判を書き連ねる(コメントは一人のみ)のは如何なものでしょうか。最近のテクニックは充分に訓練された若手、独墺系(Bartokでもエエけど)のかっちりとした作品や演奏スタイルを念頭に置けば「耳を覆いたくなる」のかも。静かに「耳を覆」えば良いのに、あちこち喧伝するのはどーいうこと?弱点はそのまま美点になることもあり、その逆もありますよ。嗜好はさまざまでっせ(Jean-Pieer-Armangaudは1943-フランスのピアニストとのこと。「牝鹿」って若くてエエ女のことらしい)。(「音楽日誌」2015年4月)

あれは一理あったな、そんな話題〜数ヶ月前、ジャン・ピエール・アルマンゴー(p)のPoulencを拝聴、某リスナーがあちこち同じ文言でボロカスにコメント、わざわざそんなことせんでも、と感じたものです。ま、Poulencにはなかなか粋な味わいもあって、やや流した演奏でもエエじゃないか、と。これがちょっとした機会があって、彼のDebussy「ピアノのために」(この曲お気に入り)を聴く機会があって思わず嘆息・・・嗚呼、ぜんぜん指が回っていなくて、雰囲気のみぐずぐずな横流れ、リズムもなにもあったもんじゃない、途中で止めました。Debussyには一種曖昧模糊とした風情も必要だけど、旋律リズムは明晰に表現したうえでのことでしょう。かなりガッカリしましたよ。 でも、それはあちこち喧伝すべきこともない。こっそり個人的に嘆息していればよろしいのでしょう。(「音楽日誌」2015年12月)

 Francis Jean Marcel Poulenc (1899-1963)には(極東のド・シロウト(=ワシ)がイメージするところの)お仏蘭西の小粋な風情がいっぱい。上記コメントには音楽を愉しむ上での本質が含まれると考えるので、しっかり再聴いたしました。その後、Poulencの作品はちょっぴり拝聴範囲を広げたけれど、ピアノ・ソロ作品はこれ以外未だ聴いておりません。ずいぶん安くなっても音楽拝聴にはお金も掛かるし、人生に音楽を聴くべき時間は限られていて、出会った音楽に真摯に向き合うのは当たり前でしょう。ピアノによるバレエ組曲「模範的な動物」を再々拝聴して、嗚呼素敵な旋律やなぁ、冒頭「夜明け」から爽やかなデリカシーを感じさせ、ユーモラスに快活な「熊と二人の仲間」、粋で優雅な「セミと蟻」、ゴージャスな歌である「恋するライオン」、落ち着きのない「中年男と二人の花嫁候補」、題名とイメージが異なる「死神ときこり」もオシャレなリズム、鶏の動きを描写した「2羽の雄鳥」、そして静謐に落ち着いた「昼食」〜 ゆったりとした部分での味わいさておき「熊と二人の仲間」辺り、快活快速なところでの弾き崩しが気にされるのでしょう。まず、作品の風情を愉しみましょうよ。

 ちょっと話は逸れて、Bach ゴールドベルク変奏曲、ペドロ・ブルメスター(p)にはちょっぴり個性不足は感じたけれど、これにも「指が回っていない」と厳しく指摘する方がいらっしゃいました。イエルク・デムス(p)(1989年)だって、そのことは指摘できんことはない。でもね、しっかりした技巧は表現意欲のためにあるんです。そこのみ取り上げるのはいかがなものか・・・音楽拝聴の幅を狭めてしまうかも。かっちりとした技巧やら縦線が完璧に合ったアンサンブルが、すべてを解決するワケじゃない。

 「牝鹿」の第2曲「ロンド」。これは有名な溌剌音楽であって、ここはそうとうによれよれと云ってもよろしいでしょう。続く「アダージエット」は雰囲気豊かに始まってテンポ・アップする場面で弾き崩れる・・・けど、それ含めてまず、作品の小粋な風情を愉しみましょうよ。バレエ音楽「オーバード」(夜明け)はもともと「ピアノと18の楽器のための舞踏付き協奏曲」なんだそう。前2作品とは雰囲気は異なってややシリアス。じつは他の演奏を聴いたことはなくて、なんとも云えぬけれど、たしかに響きが濁りや弾き崩しが気になる場面はないでもない(いえ、かなりある。難しいそうな快速パッセージ連続)。それでも音楽芸術って、評価の定まった名演ばかり聴いても仕方がないと思うんです。素敵な音楽をお部屋に流して、ゆったりいたしましょう。ほんまの映画ファンは、所謂B級映画もしっかり堪能すると伺いました。

(2016年6月5日)

【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi