オルフェウス室内管弦楽団


オルフェウス室内管弦楽団 Prokofiev

交響曲第1番ニ長調「古典」(@1988)

Vaughan Williams

グリーンスリーヴスによる幻想曲(@1986)

Mozart

アイネ・クライネ・ナハトムジーク K.525(@1986)

Rossini

歌劇「セヴィリャの理髪師」序曲(@1985)

Haydn

交響曲第45番 嬰ヘ短調「告別」(@1988)

オルフェウス室内管弦楽団

DG 431 258-2 中古300円

 1972年ニューヨークで結成されたオルフェウス室内管弦楽団は、指揮者がいない、首席演奏者を固定しない”民主的自主的”団体として注目されておりました。アンサンブルの精度に文句はないですよ。でもね、元々演奏芸術というのは個性の徹底だから、”民主的自主的”=”Goog!”と単純なる結論とならないのが不思議なところ。ワタシは、以前FMを盛んに聴いていた頃にこの団体を良く聴いておりましたね。CD購入はこれが初めて。つまり、なかなか中古で出会わない=もしかして、あまり売れていませんか?

 結論的に、この一枚はとても爽やかで気に入りました。細部までクリアであり、緻密であり、素晴らしい躍動と推進力があり・・・味(灰汁?)がない。いえいえ、悪口じゃなくて、作品との相性問題だと思います。冒頭、Prokofievの「古典」など、まさにこの団体にぴたり!でして、機能充実のアンサンブルに乾ききった情感がプラスされ、この作品の「一見ノーテンキ」、じつは「シニカル」な本質が見事に表現されます。第3楽章「ガヴォット」に於ける”タメ”さえ、計算され尽くしているんですね。贅肉なし。ワタシは、この作品が大好きになりました。

 「グリーンスリーヴス」は大のお気に入り作品だけれど、ずいぶんとジミで素っ気なく感じるのは、バルビローリ(1962年)を聴いたばかりのせいか?小編成で、密やかに囁くようなアンサンブルであって、さっぱりと終了しちゃいます。神妙に奏しているハズなんだけど・・・「アイネ・ク」は、溌剌として、からっとして、かっちりと襟を糺してエエ感じですね。我らがヴォルフガングの音楽は、演奏表現の許容範囲が広いんです。陰影とか、情緒とか、そんなものはなくても、ひたすら明るく、ストレート。

 Rossiniの楽しい序曲はどうなるのかな?と思ったら、まず、アンサンブルの集中力推進力が文句なく素晴らしい。例えて言うと、原色を基調として、隈取りのはっきりとしたイラストみたいな明るさがあって、鈴木英人を連想させますね。モダーンでノリノリ、各パートが腕の競い合うような愉しさに溢れました。

 ラスト、Haydnは疾風怒濤時代の作品であり、粋な逸話を持つ「告別」であります。これはかつて体験したことのない切迫感+アンサンブルの集中を誇って驚愕の成果であります。リズムの切れ味も素晴らしいが、所謂”古楽器”風演奏じゃないんです。あくまでモダーンであって、ある意味機械仕掛けのように機能的で正確な演奏・・・弱音のニュアンスさえ計算尽くで表出されているような・・・悪口じゃないですよ。ほんまに、その効果たるや筆舌に尽くしがたい快感。

 表現方向としてはProkofievと同一方向であって、乾いた情感が全体を支配しますね。馥郁たるロココの世界〜とは(もちろん)縁遠い”新世界”の音楽。正確精密に設計され、具現化された完成度の高い音楽。各パートに色気を感じさせないが、その結果がけっして素っ気ないものには至っていない。日常聴きとして抵抗感の少ない演奏だけれど、果たして座右に置くべき最良の演奏かどうかは、少々微妙でしょうか。

 ワタシはこの一枚を、いくども聴き返して楽しみました。録音優秀。 

(2006年12月15日)


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written by wabisuke hayashi