Vivaldi 協奏曲集「和声と創意の試み」作品8/1-4「四季」
(西崎崇子(v)/スティーヴン・ガンゼンハウザー/カペラ・イストロポリターナ)


8.550056 Vivaldi

協奏曲集「和声と創意の試み」作品8/1-4「四季」
弦楽のための協奏曲 ト長調 「アラ・ルスティカ」 RV 151

西崎崇子(v)/スティーヴン・ガンゼンハウザー/カペラ・イストロポリターナ

NAXOS 8.550056 1987年

 (以下、2013年6月「音楽日誌」より)

 初期NAXOS録音、社長の奥様が主たる名曲をすべて録音しておりました。こういった著名作品昔馴染みの録音は世評を拝見したいところ・・・”ソロがいただけない。めりはりのない平坦な演奏で全然”歌えて”いない。テクニック的にも粗末さが目立つ”〜そうだっけ?

 ずいぶんと久々の拝聴(作品そのものもめったに聴かない)には意外なる好感を持ったものです。オーソドックス、中庸、テクニックに不足を感じない、音色も美しい。評論氏は「遅め」と書いているから、古楽器系快速演奏を評価基準にしているのは明らかでしょう。激しいメリハリ、極端なデフォルメ、緩急、華やかなる装飾音〜とは無縁、ちょいと昔風、安心して聴ける演奏です。先日拝聴した別途協奏曲集(1989年)にて思わぬ成果を挙げていた、カペラ・イストロポリターナは響きがジミ、全然鳴っていなくて、低音も弱いのは録音のせいでしょうか。

 NAXOS初期のレパートリーを支えたガンゼンハウザーの責任かも。作品になにを求めるか、ということでしょう。アーノンクールを嚆矢に、ファビオ・ビオンディとかイル・ジャルディーノ・アルモニコ、カルミニョーラ他種々出ている話題の「四季」とは別世界、日常聴きにはよろしいかと。

 2014年夏は雨続き天候不順、昨年の猛暑時期より体調は維持したけれど、音楽への集中力を失って【♪ KechiKechi Classics ♪】定例更新も滞り気味です。こうして昔馴染みの音楽+若い頃からさんざんお世話になったNAXOS廉価盤、それも初期の懐かしい”知名度より、まずレパートリー優先”音源にてお茶濁しのつもり。テレビ放映された映画「劔岳 点の記」にこの音楽が上手に使われたことに気付きました。(一部管楽器入り、素直な飾りのないリズム感)

 さて、改めて西崎さんの演奏を拝聴してみると、”ソロがいただけない。めりはりのない平坦な演奏で全然”歌えて”いない。テクニック的にも粗末さが目立つ”(某評論氏)〜それって少々言い過ぎ。”めりはりのない平坦な”というのはアーノンクール以降の過激なスタイルを標準とするからであって、魔法のように変幻自在なる快速、装飾音処理がないと、それは”テクニック的にも粗末”ということなんでしょうか。けっこうオーソドックス、しっかり歌って、それは穏健にテンポ変化は少ないけれど充分美しい、瑞々しい(中低音豊満な)音色であります。今回再聴ではカペラ・イストロポリターナのアンサンブルも意外と端正に整って(音質も)けっして悪くない。但し、低音が弱いといった印象は変わりませんでした。バロックに於ける通奏低音はリズムのキモだから、これは問題かも。

 たしかに「春」に溌剌とした躍動感少々不足、「夏」に緊迫感溢れる劇性はちょっぴり足りぬのかも。とくに低弦にゴリゴリとした生々しい響きはもっと欲しいところ。「秋」の晴れ晴れとした表情、暗転する気分にも安定感有。第2楽章「Adagio molto」の纏綿たる濃いテイストもたっぷりと浪漫、第3楽章「Allegro」の溌剌リズムとの対比も秀逸でしょう。イ・ムジチ(フェリックス・アーヨ)は各楽章必ず(たっぷり)ルバートしてましたよね(懐かしい)。ここではそんな慣習は目立たない。

 「四季」のクライマックスである「冬」。粛々と緊張感が高まる第1楽章「Presto」は端正だけれど、やはりリズムの劇性はもうちょっと加えて欲しいところ。端正、美しいソロに不足はなく、第2楽章「Adagio」の人懐こい、暖かい、甘い旋律ものびのびとオーソドックス、ニュアンスに富んでおりました。第3楽章「Allegro」は急がず、慌てず、滔々として風情は変わりません。ここも少々”ダメ押し”的フィナーレとしては弱い感じでしょうか。スタイルは昔風?かな。

 全体として適度な残響を活かして音質も良好、中庸オーソドックスなテンポ設定は、”演奏個性よりまず作品を味わう”という点で充分な価値と感じたものです。

(2014年9月7日)


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written by wabisuke hayashi