佐伯 一麦 「読むクラシック」集英社新書 2001年発行 660円+税 クラシック音楽系の本はもともと少ないだろうし、ワタシはほとんど文庫・新書・古本の世界で生きてきたので、ますます「読むべき本」は限定されます。ホントは古代史とか、戦国時代とか、医療もの、アジアもの、食材もの、開高健、池波正太郎、椎名誠、立花隆〜こんなところが主たる読書の世界。しかも、インターネット導入からめっきり「調べもの」には縁がなくなって「読む行為」そのものが激減状態なんです。 この本、昨年から買ってあったんですが、ようやく読了しました。筆者はワタシと同世代の小説家だそうで、彼の作品は読んだことはありません。仙台の受験校で自由奔放に過ごして、そんな時代から「小説家になる」ことを決意して大学受験をしなかったこと。週刊誌のライター、電気の配線工やビール工場に勤めたり、苦心惨憺〜やがて小説家として成功し、夫人のオスロ留学に同行して一年を過ごしたこと・・・・などが断片的に理解できます。 子供時代から、日々目標もなく流されて中年に至ったワタシとは大違い。そのストイックなまでの生活に音楽が絡みます。高校生時代、既にBRUCKNERに心酔していたとのことだから、時代的にも精神的にも早熟だったんでしょう。(ちなみに、ワタシの高校生時代はウェスト・コースト〜とくにCSN&Yに入れ込んでいて、ヘタなギターを弾いて歌っていた・・・・嗚呼、恥ずかし!)若い頃って、妙に真剣で一本気じゃないですか、音楽に対しても。佐伯さんは、その気持ちを現在まで維持しているのも驚くばかり。 これは「聖パウロ女子修道会」とかいう、いかにも厳しそうな団体の会報誌かなんかに連載したものらしくて、そうか、だからこんなにストイックで重苦しい内容になっているんですね。フツウ、ちょっと明るいエッチな話題などが紛れ込みそうだが、これは真面目一方。数頁の短いエピソード(この人は短編が得意らしい)に、クラシック音楽が必ず絡みます。 ベネデッティ・ミケランジェリやアルゲリッチのコンサートの想い出はともかく、あとは個人的な人生の区切り(それは事件と言うほどのことではないとしても)とともに想起される名曲の数々〜どうも、重苦しくていけません。レコード・プレーヤーのベルト・ドライブがダメになって「パンツのゴムで代用」事件など、ワタシであったら「聴け!パンツのゴムから生み出される真の芸術を」などと思いっきりデフォルメすることでしょう。 ノルウェイのオスロにおける一年の自然の移り変わり、そこから現代音楽に目覚めるところは文筆業の専門家としての説得力がありました。でも、あちこちと理解できないものも多くて、例えば「マイスタージンガー」から、マーク・トウェイン作「ハドリバーグの町を腐敗させた男」を連想するところ〜これはトウェイン短編集を買ってくるしかないか? 文章もわかりやすいし、読みやすい本でした。でも、ワタシには少々違和感が。それは?高度成長時代の「名曲喫茶」で、眉間にシワを寄せつつ「人生の矛盾はオレ一人で背負う」とばかりBEETHOVENを聴いていたであろう若者が、やや遅れて登場したかのような錯覚に陥ったから。 ワタシの人生そのものがノーテンキだから、音楽もニコニコと〜ときに爆笑しながら〜聴いております。仕事も楽しんでやりたい。家族との生活もウキウキと暮らしたい〜数日前に自らの死を選んだ大学時代の後輩のことを思い起こしながら、この本を読んでおりました。
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