中野 雄 「ウィーン・フィル音の響きの秘密」文春新書 2002年発行 790円 この本は、ことし読んだなかでは出色のものでした。但し、標記帯の宣伝文句は内容とは無縁のもので、小澤のニュー・イヤーコンサートの異例の人気にあやかったもの。(この件、適正且つ冷静なるコメントがされております)ケンウッド(歴史的な国内録音にいくつか関わっている)の取締役〜現在音楽プロデューサー。ウィーン・フィルのメンバーとも親交深く、具体的な証言を元にした文章の説得力は比類がありません。 「ああ、この部分は例として引きたいな」と付箋紙を挟んでいったら、全編付箋紙だらけでどうしようもない読みどころ満載。困った。「ウィーン・フィル」と題しているが、ほかの名管弦楽団の団員の逸話も頻出するし、往年の名指揮者、そして現役の指揮者への(的確なる)コメントも。「プロローグ」から、1978年のハンス・グラーフとの「おそらく最高の演奏」(MOZART)に触れられていて「良い指揮者とは」〜 ヒューブナー(当時第2ヴァイオリン主席。楽団長だった)が、彼は「指揮棒は持っていたが、なにもしなかった」〜だから良い演奏ができたんだ、と。もう、これは強烈なる先制パンチで物語は進行します。 「書かれた楽譜の裏にあるもの」〜フルトヴェングラーの「第九」の解釈を巡って、期せずして「そもそも指揮芸術となんなのか」〜その歴史も語られます。その驚くべき具体例と楽譜(ようワカらんが!)の説得力(コレ、全編そうなんです)。まず(当然)「フルトヴェングラー」登場。コレ、ベルリン・フィルなんかの証言もたくさん出てきます。「あの音を出すのはカリスマではなく、技術である」という「新説」。な〜るほど! 「カール・ベーム」「カラヤン」と続きます。ベームは死後、欧州ではまったくCDが売れないらしい。人気が高いのは日本だけとのこと。ウィーン・フィルの団員に敬愛されていたのは間違いない(名フルーティスト・トリップの証言)が、一方でのオケとの微妙な関係、まるで「あの名演奏はコンサート・マスターが作っているんだ」と解釈できないこともない文脈の流れ。対極の例としてか、ミュンシュが例示されます。 「カラヤン」では当然ベルリン・フィルの証言も多い。驚くべきことに、カラヤンは演奏を管弦楽団に任せ、しかもその自主性をいっそう助長することによって、あの「カラヤン・サウンド」(ワタシは激甘と評したい)を実現していた、とのこと。ま、ギャランティーの問題では「帝王・独裁」だったかもしれないが、こと演奏芸術の現場では間違いなく演奏者にとって理想的な指揮者であったらしい。 そして「小澤征爾」登場。なんという配慮のある、含蓄豊かな論評でしょうか。ワタシは「アンチ小澤」(とくにここ10年)ではあるが、ウィーン登場の背景、かれの評価(低いとか、高いとか単純な問題ではない)について、これほど納得したことはありません。(読んでのお楽しみ) ここまでは近況と現状か。そのあとは、ウィーン・フィルの誕生と歴史が語られます。ハンス・フォン・ビューロー、グスタフ・マーラーも登場します。「ショルティとの戦い」なんかも出てきますね。ウィーン特有の歴史ある楽器と日本の楽器メーカーとの深い関係(有名ですよね)。ウィーン・フィル特有の響きを維持していくこと、これから生き残れるか〜これは、ウィーン・フィルの話しに留まらず、演奏芸術全般に言及された読み応えのある一冊でした。(2002年12月23日)
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