野口 悠紀雄「インターネットは『情報ユートピア』を作るか?」

野口式「超」スケジュール管理法とは?(・・というオビの宣伝はハズしている)
新潮文庫 2000年10月発行  514円

 「無人島に持っていく本」改題。野口先生の「超整理法」(岩波新書)は、ワタシの人生を変えたくらいの影響があったし、PCへの傾倒もこの本なくしてあり得なかったもの。恥ずかしながら、ここ数年は「超整理手帖」も愛用しております。たしか「バブル経済」って、この人の命名でしたよね。

 音楽にも造詣が深いようで、この本でも「フェルマー定理、ベートーヴェン、聖アントニウス」「ミーハー的『魔笛』論」「早春賦」の三章が音楽関連の文章でした。含蓄の深い内容で、一筋縄ではいかないおもしろさ。

 「フェルマーの最終定理」(高校生から数学は不得意だったので、内容はようわからん)の証明をしたワイルズ教授に対して、プリンストン大学数学部長が「生きている間にこの定理の証明に接することができたのは、ベートーヴェンの後期四重奏曲を聴くことができるように奇跡だ」と、語ったそう。比喩として使われる例は、万人に認められている価値でなければならないから、この曲は「奇跡」なんでしょう。きっと。

 ワタシはベートーヴェンの室内楽は苦手なほうで、あらためてズスケSQの作品131、132、135を取り出しました。そういえばバルヒエットSQの作品132も手元にあって(FIC ANC-78)、これはけっこう馴染んだ曲、演奏。ま、付け焼き刃で聴いても凡人の悲しさ、どこがどう「奇跡」かは理解できず、イ短調 作品132の終楽章「アレグロ・アパッショナート」〜もの悲しいワルツ(?)を楽しみました。

 バルヒエットSQのほうは、ヴァイオリン中心にゆったりと歌うようなスタイルであり、ズスケSQのほうはスッキリと早めのテンポで飾らない悲しみが胸に迫りました。リズム感にもキレがある。

 レーザーディスクの普及(現在だとDVDでしょう)によって、オペラの見方が変わったこと。日本じゃ、常設のオペラ・ハウスは存在しないし、高い金を出して来日公演を見たり、ましてや海外まで行った挙げ句に「大ハズし」公演だったらたまりません。予習にもなりますしね。

 ワタシはオペラも苦手なほうですが、「視覚が重要」というのは理解できる。イングマール・ベイルマンが「魔笛」を映画化しているそうで、その魅力を賞賛。劇場よりLDのほうが、出演者の表情の細かさがよくわかるそうで、「女性歌手の容姿がオペラ鑑賞上の非情に大きな要素になったと思う。(美人かどうかどうかということでは、必ずしもない)」とのこと。そういった意味でグラインドボーン盤には「偶像は崩れた」そう。

 主にパミーナ(そしてパミーノ)の役割について言及されていて、オペラの演出について勉強になりました。「魔笛」じゃないが、ゲオルギューってホント素敵ですよねぇ。

 MOZARTの変ロ長調K378は、BEETHOVENのスプリング・ソナタ(これも名曲!)以上に「春らしい」こと。「そうだったっけ?」と、グリュミオー/ハスキルのCDを取り出したら(エール・ディスク GRN-509〜海賊盤ばかりで済みません)なんだ、これよく知っている曲じゃないですか。うん、でもホントに早春の希望に溢れている。

 最後のピアノ協奏曲(変ロ長調K595)の終楽章が、「春への憧れ」として歌曲になっていることはご存じの通り。「厳密にいうと、この楽章が描き出しているのは、早春と言うよりもう少しあとの季節である」そうですが、ドイツ語がわからないワタシにはその理由は知り得ません。(でも、なんとなく納得する)

 いや、一流の学者は、余技でも視点が鋭いですよね。あらためて「音楽が聴きたい!」と思わせる魅力的な一冊。


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written by wabisuke hayashi