許 光俊 編著 「こんな『名盤』は、いらない!」

クラシック恐怖の審判@
青弓社 1999年発行 1600円

 いつも本棚からアト・ランダムに取り出して、読み返し「フンフン」とうなずきながら文書にしています。だから少々古い本ばかりになっていましたが、これは買ったばかりの新しい本。1999年の12月30日第1刷で、翌1月30日には再印刷されているから売れているんでしょう。反骨精神に満ち、毒の効いた著作です。なかなか深く、楽しい。理論的でもある。鈴木 淳史さん、吉澤ウィルヘルム(!)さん、宮岡 博英さんとの共著となっております。

 よってたかって、評価の確立した「名盤」「名演奏」「名解釈」を一刀両断のもとに否定して凄い。表題だけ見ても刺激的ですよ。曰く「ラヴェル=クリュイタンスという危険性」、「ごモットモな名盤?」〜これはグールドの「ゴールドベルク変奏曲」、「朝比奈とは、へたなブルックナーという意味だ」・・・ハハハ、こりゃファンの方々激怒だなぁ。とくに朝比奈さんのところは、熱狂的なファンが多いし、著者は夜道に気を付けないと。

 絶大なる人気を誇って、いまだにレギュラー・プライスで売れ続ける「ワルター/コロンビア響」については、ごていねいにも二度にわたって酷評されます。「地球温暖化から『田園』を守る」「偽善の微笑みを忘れずに」〜これはMOZARTの交響曲第41番のこと。もうボロボロに批判されて、痛快なくらい。「フルトヴェングラーの『名盤』を破壊せよ」〜これは完全否定じゃなくて、もうすこし録音芸術の影を語っていてひねりが効いています。ワタシもファンであるアルゲリッチは「忘れられた精神のテクニック」とバッサリ。

 市井の一音楽ファンである(やや逃げ口上的?)ワタシはニヤニヤしながら堪能しました。子ども頃からン十年、レコード〜CDを聴き続け、業界の権威「レコード芸術」の評価を読み続けたワタシは、名の通った評論家の評価も拝聴しつつ、ついには時分の耳しか信じなくなりました。高い金を出して買ったLPが、どう聴いてもヘボだったのはワタシの耳の浅さとも思いました。貧しくて、安く「無名」の演奏家のしか買えなかったけれど、これがその後の人生を豊かにしてくれこともありました。

 偉い先生たちの評価もコロコロ変わります。この本は既存の権威を鵜呑みにするのじゃなくて、自分の耳で聴け、という主旨と理解しました。揺るぎない評価のバックハウスを批判し、最近のラトルへの無条件評価へも警鐘を鳴らす。逆に、この本をすべて真に受けて「持っていたCDはぜんぶ売り払う」必要も、自分の評価を変える必要もないでしょう。

 「シカゴ響はそんなにうまいのか」〜これは、勉強になりました。ジュリーニ/CSOの「新世界」と、アーノンクール/RCOの「8番」との比較〜「シカゴ響の演奏者たちは、コンセルトヘボウの奏者たちが表現していた微妙な心理の移り変わりや、音色や調整の変化に対して、じつに無感覚なのだ」。シカゴ響は美しい。しかし「意味が欠落している」のだと。ワタシは「意味がうっとおしい」と感じることもあるし、「意味」を求める指揮者との葛藤も面白いと思うのですが、そのあたりもちゃんとコメントされております。

 個人的な感想としては、賛否半々くらい。ルービンシュタインのショパンは「気の抜けたサイダー」〜けっこう旨いんですよ、冷やして飲むと。シューリヒトのブルックナーは「緊張感のない、流すだけみたいな演奏が放送用に録音された場合、また、会場にひそかに持ち込まれたマイクで録音された場合」 こんな演奏に聴こえる、とのこと。ま、EMIの録音って、そんなパターンが多いですが、ワタシゃ好きな演奏です。

 所詮、評論というのは「好き嫌い」に行き着くのでしょうか。この著者は演奏史的な俯瞰も出来ているし(例;春の祭典)、理論的な裏付けがあります。既存の「無意味な権威」に異を唱える姿勢は大賛成。論議は多彩で多士済々であるべきで、毒舌「U氏」の評論もひとつの意見として拝聴すべき、というのは同感でした。

 「ブーム」は悪くない、と思っています。歩留まりがあるでしょ?少しでも。クラシック恐怖の審判@となっていますから、次も出てくれるんでしょう。楽しみです。


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written by wabisuke hayashi