鈴木 淳史 「クラシック批評こてんぱん」

この「毒本」の処方箋および取り扱い注意(?)
洋泉社 新書y 2001年発行 720円(+税)

 「クラシック名盤ほめ殺し」に続く、1970年生まれの若手による著書。ここ最近、BOOK-OFFばかり行っていて、「こんなん出てますよ」とメールで教えていただきました。前回ワタシのサイトで「敦史」との間違いを指摘され、あわてて修正したが、ごていねいにもこの本はすべて「敦史」の誤植で通しているのが凄い。

 ワタシの頭が悪いせいか、例の如しでじつにわかりにくい内容でした。納得共感できたのは「まえがき」のみで、「財政的に買えるのは廉価盤LPのみ、それよりもNHK-FMからのエアチェック・テープが主な鑑賞の対象だった」なんて、世代こそ違え自らを見る思い。「わたしの内部では、カラヤンよりライトナー、ウィーン・フィルより南西ドイツ放送交響楽団のほうがメジャーな存在だったりと」〜これもその通り。

 「クラシック音楽が滅びようと、音楽評論は残る」・・・・この辺りから、もうわからなくなっていて、この本は「音楽の批評」ではなく、「音楽評論の批評」なんだそうです。それでもアバド/BPOの「第九」評論をあちこちから引用して、いかに多様で、正反対で、いい加減で、慣用的言い回しに満ちて、ようはするになにを言っているかワケわからん状態か、という例示は納得できる、というか、ワタシ、子供の頃から「権威ある批評」はいっさい信じたことありません。(例、「極め付き」と評されるフルトヴェングラー/バイロイトの第九にいちども感動したことはない〜この件について、本文中のあらゆる引用はケッサク)

 ワタシも「批評」めいたことをたくさんサイト上に上梓していて、赤面の至りだが、あれはド・シロウトの「感想文」〜と言い訳させてください。で、あとはワタシの勝手なこの本への読み込みだが、日本に溢れている「音楽評論」への手厳しい批評なんでしょうか。なぜ、この人の本がわかりにくいのかというと、皮肉なのか、ほめ殺しなのか、ほんまに誉めているのか、ときどき混乱してしまう。

 な〜んてのはじつはウソで、強烈ですねぇ。全部批判なんでしょ?でも、時代(音楽受容の歴史)の変容〜基本的にはこれなんでしょうけど〜戦前から高度成長時代くらいまでの文章と、現代のものをいっしょくたにすると少々可哀想な気もしますね。「大胆な切り口系」「ぶっとび感覚批評」「妄想文学系」「グローバル系」、レトリックとして「直喩」「暗喩」「隠喩」「諷喩」「声喩」「換喩」と具体例が示されるが、抱腹絶倒。

 「音楽批評実践講座」に至ると、みな現役の方達の例示を引くから、少々切れ味が落ちます。でも、部分を切り抜いて、整理しちゃうと、これがじつにこっけいで笑えます。もとより評論なんかに興味はないが、「こんなふうに読むと楽しめるのか」と感心するばかり。「日本人総評論家」論(含ワタシ)があるが、みんな好きなんですよ、評論が。書くのも読むのも。「美しい日本の批評」って川端康成のパロディですか。

 これ「エラい人の評論など信じるな」という本でしょうか。クラシック音楽関係の例示がたくさん引かれるが、音楽の本ではありません。「批評」の本なんです。楽しく読めたが、日常楽しんでいる音楽になんの影響も与えない書籍。 


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written by wabisuke hayashi