岩城 宏之「棒ふり旅がらす」

この名指揮者は希代の文章の達人でもあります。
朝日文庫 1986年  400円

 岩城さんは、ワタシが子ども時分にN響の指揮者であって、テレビでいつも拝見しておりました。小学生の時、札幌市民会館に演奏会を聴きにいった記憶も有。ずっとファンで、世界的な巨匠と云われるようになった小澤征爾より親しみがわきます。本もたくさん出してらっしゃって、文庫、新書の類はモレなく買っているつもり。

 この本は週刊朝日の連載をまとめたもの。短いエッセイ(よく、女性週刊誌なんかのコメンテイターに「エッセイスト」と恥ずかしげもなく肩書きをつけている人、いますよね。ゾッとする)の連続で、一つひとつが珠玉のように楽しく、躍動している文章。

 たしか、首の手術をしたり、とかいろいろあったんでしょうが、現在は国内をベースに仕事をされていますよね。デン・ハーグ、アトランタ、メルボルン、などでキャリアを積んだ人が、なぜ日本で仕事をするようになっったのか、は、このハードな全世界行脚の状況を見れば何となく想像がつく。それに岩城さんて、喰いしんぼうのようで、日本食にも執着があったんじゃないかな。

 全編、どこといってキモはなくて、すべて読みどころ、といった感じですね。もちろん、音楽の話しもなくはないが、棒ふりである彼自身の生活、楽しみが語られていておもしろいんですよ。
 例えば、田中裕子(ジュリーとは離婚したのかな?ワタシの高校の一年先輩)に、亡き母親の若き日の幻影を見る「田中裕子讃」。筋金入りのジャイアンツ・ファンで長嶋さん、王さんと必ず「さん」付けで呼び、世界中どこにいっても、短波放送で野球の結果を追い続ける野球関連話数本。(高校野球もお好きらしい)デン・ハーグ時代に住んでいたところは「スケベニンゲン」であったこと。

 「酔っぱらって指揮したことは、これまで3度しかない」こと。ハンガリー語では「塩」「ケチ」は通じるといった驚き。「四十肩」の原因が、激しい歯磨きが原因であったこと。
 もっとも印象に残って忘れられないところは、戦時中、日本軍に家族を殺されたメルボルン響の老団員が、憎しみを乗り越え岩城宏之の音楽によってついに心を開く「恩讐の彼方」(筆者は涙が出た、と書いているが、読者であるワタシも涙が出た)。

 なんども書いて恐縮ですが、ワタシはノウハウ本が嫌いなんです。(もしかして受験勉強の反動か)音楽は、テクニカルなものじゃなくて、もっと生活に根ざした、というか、生活そのものの日常だと思うんですよね。だから、こういった「売れっ子指揮者の生活」は本当に楽しい、そのまま素敵な音楽が聴こえてきそうな、幸せになれる本と思います。


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written by wabisuke hayashi