鈴木 淳史 「クラシック名盤ほめ殺し」

啓蒙的で凡庸なクラシック本の常識を覆す、挑発的で起きて破りのCDガイドブック登場(?)
洋泉社 新書y 2000年発行 680円(+税)

 最近、従来のこの手の本からは一線を画す過激さで売っている(売れているんでしょう)洋泉社からの新しい新書シリーズ。「ネオむぎ茶」系なんていう言葉が出ているから、新しい本なんでしょう。方向性としては理解できるが、少々ヒネリが効きすぎていてわかりにくいのが難点か。鈴木さんは1970年生まれだから若いし、「クラシックB級グルメ読本」でも執筆しておりました。ここのところ目にすることの多いニュー・ウェイヴ系の自称「音楽評論屋」。

 先日、Gramophone Japan を読んで「レコ芸は止めた」とこのHPに書いたら、メールをいただきまして、「他にもこんなんがあって、レコ芸よりおもしろいよ」とのこと。いろいろお勧めいただきました。「レコ芸」って、保守本流というか、戦後から高度成長期を頂点として、バブル期を再末期とする、ひとつの定まった「巨匠」「定番」「堂々たる」「雄壮な」「ドイツそのもの」みたいなぁ、「権威」とかぁ、そんなものの代表と思うんですよね、っていうか。(アホか、俺は)

 で、もう、クラシック(CD販売)業界もそんなんではまったく通用しない(理論的にも、商売的にも)状況になっていて、「レコ芸」自体も「体制内変革」が逆にどうも据わりが悪いというか、中途半端。「音楽が生活に息づいていない」と、ワタシはいつもエラそうに言っておりますが、経営的に相当苦しいとはいえ(先日NHKで見たオケの経営状況の特集は秀逸)演奏会がたくさん開かれていますし、アマ・オケの意欲的な活動を続けているのはご存じの通り。(我が街・岡山でも)なんでもそうなんですが、「多様化」と「価格破壊」の時代なんです。「カラヤンの大量生産」では商売にならない。

 鈴木さんは、「名演奏や名盤は存在しない。あるのは、それを認識する個々や社会のシステムのみ」という、明快な主張を基本とされているそう。いままで揺るぎない「名盤」と評価されてきたものを、相当ひねりを利かせて「ほめ殺して」います。但し、じつにわかりにくい。

 ま、甘い大福にトンガラシをまぶしたような感じで、某U氏の評論のように、なんの理論的脈絡もなく「真実の音ではないのである」みたいなぁ(おお、ヤバ)、そんな断定とは無縁なものの、おそらくは音楽受容の多様性を表現したかったのか、それとも単なる表現上の「逆説」(イヤミ、ともいう)なのか、明快に主張しない(ように見せる)のがこの世代のコミュニケーションなのか。ワタシの頭が悪いだけか。

 もうあちこちでやり玉に挙げられている「ワルターの田園」(ま、決定版の代表、ということで)は、「単なるバランス異常」「引退した往年の名選手が、モルツ球団で大トンネルして大受けしているみたいなもの」との比喩。有名録音はもちろんのこと、フローリアン・メルツとかパヨナトプーロスなど、なかなかお目にかかれない無名演奏家はもちろんのこと、朝比奈翁(相当過激評)、SONY大賀会長、ティーレマン(ボロカス)など、次々とまな板に載せていて、ま、楽しめます。

 最近、だれでも酷評するメータも「ほめ殺し」ていますが、これはどう考えてもわかりやすい。(ダメなほうに)カラヤンとトスカニーニが出てこないのは???ほめ殺し三段階評価が付いているのですが、ようわからん。基本的には「悪魔」と「天使」の対話形式ですすめられているのですが、表現は様々で落語風でもあり、マンガ風でもあり、イヤミなようであり、新しい視点のようでもあり、出張の数時間、列車の中で楽しめた一冊。

 ワタシ個人の立場は明快で、「CDも演奏会もできるだけ安く」「いちどお金を払ったら、充分それ以上楽しむこと」「レッテルや”高けりゃまちがいない”式の判断にはいっさい従わない」「評論や評価、情報には充分留意するが、鵜呑みにはしない」・・・・・それだけです。


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written by wabisuke hayashi