Gramophone Japan 2000年6/7月号に関連して

投稿からの感想
新潮社 2000年5/6月発行  1000円

 「評論家はツライよ」という一席。普段は評論家の言うことなんか、なにも信じないワタシですが、なんか可哀想になりました。ワタシはただのシロウトで、これで飯を食っているわけじゃないので、気楽なもんですが。だから勝手なこと言ってごめんなさい。

 7月号の「読者投稿欄」に、メジェーニワのCD評の末尾に「かわいいから許す」とありますが、演奏の良し悪しと容貌と一体何の関係があるのでしょうか。性差別表現であり、不謹慎だと思います・・・・・旨の発言がありました。匿名ではなく、ちゃんと年齢も(ワタシより少々年上の男性)明記されており、堂々とご意見を述べられるのは民主主義の世の中として、立派に感じました。

 しかし、一音楽愛好家として、読者として違和感がある。自分のHPという「場外乱闘」で失礼かと思いますが、ワタシは「あれでいい」という思うのです。たしかに「音楽評論」としては、「演奏の良し悪しと容貌と一体何の関係があるのでしょうか」といわれれば、それまで。でも、音楽を楽しむことってそんなカタい、崇高なもんでしょうか。

 たとえば(ワタシも大ファンであるところの)モーニング娘。最近、後藤マキの進出でやや分の悪いナッチは、ワタシと同郷であるし、以前のガリガリ状態より現在のふっくら状態のほうがずっと可愛い。NHKのドラマ「FLY」で見た片瀬那奈の健康な色気に驚愕したり、「芸能」ってそんなもんだと思うんですよ。

 日本では「出雲の阿国」以来の伝統芸能もそうだし、あの大BACH一族だって、けっして社会的な身分が高かった訳じゃない。もっと日常生活に結びついた、気楽で素朴な喜びというか、場合によっては、ちょっとエッチな世界(こりゃBACHには失礼か)に関係が深かったりする。

 たしかに「演奏の良し悪しと容貌」とはなんの関係もない。でも、女性が色男のテナーを追っかけたり、ワタシが仲道郁代さんを好きだったりすることに、だれが文句が付けられるのでしょう。EMIから「エロイカ・トリオ」というもの凄いべっぴんさんの3人組が出ていて、興味津々だったし、かつてはラベック姉妹なんかも「ん?!」と引きつけられたもの。DGから、コジェナーという若いメゾ・ソプラノがデビューしましたが、いや、そのブルーの瞳の美しいこと。

 ワタシ、チェルカスキーのガンコ職人風風貌にも深い味わいを感じます。リヒテルの禿頭も説得力がある。でも、美しい女性演奏家に「かわいいから許」しちゃ、まずいでしょうか。(いつも許してばかりなんですが)「昨今のアイドルとクラシック音楽とは格が違う」と、もしそんな馬鹿げたことを考える方がいたとすれば、それこそ偏狭であり「差別」にほかならない。ワタシにとって「プッチモニ」や「たんぽぽ」は、「フルトヴェングラー」や「クナッパーツブッシュ」とそう遠くない位置にある。

 でも、それはワタシが一音楽愛好家だから勝手なことを言えるだけなのかも。8月号に、批判された側である鶴間さんからの「回答」が寄せられていますが、いかにも歯切れが悪い。「容姿とは後天的なもの」と、やや論旨を外したような内容になっていますが、これは「評論家」として仕方がないのかも知れません。これを機会に、鶴間さんの筆の切れ味が鈍らないよう願うばかりです。

 「容姿端麗」も「音楽的才能」も、ふくてめてプロとして成功するには「先天的なもの」は存在します。それは「差別」ではなくて、ワタシのように両方とも授からなかった人間にとっての「楽しみ」なのです。

 人それぞれ個性があって、その個性が生かされて世の中を形作っていく。あまり硬派な「クラシック音楽フリーク」になりたくない、と思っております。


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written by wabisuke hayashi