独言(ひとりごと)「本で聴く音楽」は2001年1月で、ちょうど一周年を迎えました。はじめのウチは頑張って毎週更新、そのうち2週間に一回、ここ最近一ヶ月に一度という堕落ぶり。内容はジミ(完全テキストファイルのみ)だし、更新に手間が掛かるし、で、気軽に始めたHPだがこんなに苦労すると思っていませんでした。 ポータル・サイトにもまともに登録していなくて、【♪ KechiKechi Classics ♪】更新履歴の流れで見ていただいてる人がほとんどじゃないでしょうか。だいたい、こういったHPは検索サイトの分類上、難しいんです。掲示板などを作らないのはワタシの怠慢だが、そういうのはあまり好きじゃないのでしかたがない。メールでの反応もほとんどない。相変わらずカウンターも遅々として進まない。 でも、ま、楽しみで始めたHPだから、ということでボチボチ続けています。先日は新潮文庫「バッハ」著者樋口隆一さん本人からメールが来てビックリ、そんなこともタマにはあるんです。五味康祐「オーディオ巡礼」を探している、という方からメールをいただいたりしました。そういえば「あらえびす」についても何通かご丁寧な情報をいただいたなぁ。奇特な方々に感謝。 別な話題ですが、年賀状にEメール・アドレスを載せて2年目に入りました。(その間にアドレスを変更したが)女房は、昨年は一年通して届いたメールはわずか3人。「おばはんには、まだITの壁は高いのか」と思っていたら、今年の年賀状が届いて以来、一ヶ月も経たないウチに10人程から連絡があったようです。やはり、時代は想像以上に進んでいる。 なかには試行錯誤の結果か、同じ文面が4通くらいまとめて届いているのもあって、微笑ましい。ま、ウチだけみても、昨年は女房の会社で業務用Eメールが始まったし(女房も仕事用のアドレスが存在する)、息子はもっぱらauのEZwebで友人と連絡を取り合うようになりました。 ワタシ個人でも、出張時のホテル予約はweb上だし、正月の帰省の飛行機チケットもインターネットで予約しました。CD購入も最近はEメールで済ますことが多い。なにもかもがインターネットで出来るとは思わないが、様々な可能性は広がっています。 そろそろ「マイライン」の申し込みをしようと思っているのですが、「長距離電話全国一律3分20円」のサービスが始まるようで、それを検討しています。現在はNTTの「テレ・ホーダイ」(月1,800円)を利用しているが、「常時接続」のサービスも値下がりしてくるでしょうから、それも視野に入れて考えています。 アメリカでは電気会社の過当競争で、経営危機に陥ってしまい、電力供給がピンチになった州があると聞きました。ワタシが愛用する「無料プロバイダ」も、いくつかの会社はサービスを停止したり、参入予定を撤回したりする動きがありました。(またEメール・アドレスの変更案内はメンドー臭い) わずか一年で動きが多彩で、先が読めない感じ。このHPで激賞した「グラモフォン・ジャパン」も休刊してしまうし、いろいろ文句を言った「レコ芸」だって音楽の友社が経営危機だそう。「不況」とか「価格破壊」、「景気は底を打った」「もっと土木工事(公共事業を)を」みたいな単純な論理じゃなくて、おそらく事態はもっと劇的な変化を起こしていて、それに付いていけそうもありません。 ワタシの大好きな有明の海苔が大不作だそうで、諫早湾の(あの例の非情な、ムダを絵に描いたような)干拓が原因になっているという説もあります。幼児虐待、猟奇的殺人、少年犯罪の悪質化、等々毎日ニュースを見るのがつらくなるような毎日。「劇的な変化」が遠因になっているのかも知れません。 2001年1月21日の朝日新聞に、論断「つよくなくてもやっていける」(立岩慎也さん 信州大学医療技術短大助教授)が掲載されていて、日曜の朝っぱらから考えてしましまいした。「刺激しないと消費が増えないのなら(中略)その部分は足りている」「ものがあるのに失業があるということは、少ない人数で多くを生産できる」「ものもものを作る人も足りている」「国際競争の圧力はたしかに存在するが(中略)競争しなくてもすむ方向で解決がはかられるべき」結論的に「危機は存在しない」と。 このあと立岩さんは、所得の格差が許される正当な範囲、失業を防ぐための労働の分配に言及されるが、政治不信(信用されていない人たちが例えば正義を語り、押しつけることが、かえって正義の価値を下げ、信用を低くしている、と辛らつな批判)に触れ、最後に「この社会は危機ではないし、将来は格別明るくもないが暗くはない。未来・危機・目標を言い立てる人には気をつけたほうがよい」と。 たった今、失業で苦しんでいる人、ましてや会社の放漫経営で馘首された人々には納得できない内容かも知れません。営業で数字を求められるワタシにも少々違和感有。でも、「社会は右肩上がりじゃないと」「少子化は国を滅ぼす」みたいな論議にはもっと違和感があって、なるほどと感心したコラムでした。 1月18日の「ティーンズ・メール」は、もっとストレートでわかりやすい。16歳の女子高校生(息子と同世代だ)が「夢はありません。毎日がつまらない」と相談しています。ワタシもファンの一人であるドリアン助川さんが、素晴らしく的確な回答をしていました。(自分自身そんな年齢には同じ悩みを抱えていた記憶がある) 「出口見えぬ日々こそ原点」〜幸せを得る法則など存在しない、夢・希望を持っている時、たしかに生き生きとした日々を送ることができるが、それは短かい。大部分の人生は「自分が何をしているかわからない、どちらを向いているかもわからない漠然とした状態の連続」(ドリアンさんは今もそうであると)。そっちのほうが、ずっとずっと本当の人生だよな、と。模索ばかりで出口が見えないので、それを本にしたり歌にしたりして生きてきたと。 「夢を失った」ということは、単純な人生の法則以外にも、生きてゆく方法を探す季節がやってきたというあかしです。これから本当の自分の姿、夢を探すときがきた、という回答でした。 この二つの記事は、じつは同じことを言っていて、先人達が昔から語っていた「青い鳥」物語のことなのでしょう。ありがちな、一見真実のような耳当たりの良い言葉に雰囲気だけで反応してはいけないのでしょう。現実は良くも悪くもない、ただそれが事実であって、それ以上でもないし、それ以下でもない。 ワタシなど、ほとんどハッタリで場当たり的に生きてきて、なんど計画的、着実に、コツコツと、地味に素朴にやっていこうと思ってきたことか。でも、しかたがない。投げるつもりもないが、このままで良いとも思っていません。そんな繰り返し。根が明るい性格なので、ここまで生きてきた、というところでしょうか。 記憶が曖昧ですが、写真家の土門 拳さんの「真贋を見極める目」について、又聞きをしたことがあります。年代物の陶器などを撮影するにあたって「比べない」「ひたすら対象物に集中する」〜そうすると本物が見えてくると。まさに「真を写す」とはこのことでしょう。 CDが安くなってきたため、たくさん買ってしまいます。「聴き比べ」は楽しみで、次々と(しかも不遜にもツマミ聴きで)同曲異演をプレーヤーに乗せていくワタシ。挙げ句の果て、愚にもつかない文章をHPに掲載してしまう。ほんとうは「一枚入魂」で、土門 拳さんのように真贋を見極めたいのですが、それほどの根性はない。毎日が手探り状態なんです。 そんなこんなの「一周年」でした。これからもジミなHPをよろしくお願いします。長く、まとまりのない文章でごめんなさい。(朝日新聞の日付は、すべて岡山統合版による)
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