独言(ひとりごと)もうン10年前の学生時代、ビンボー学生だったけど主に文庫本ばかり年間300冊は買っていました。ま、80%くらいはちゃんと読んでました。京都には大学生協をはじめ、大きな本屋さんがたくさんあったし、古本屋さん(いまどきのマンガばかりのではなく)も多くて、よく通ってましたね。 本選びも熟練してくると、表紙を見ただけで自分の好みがわかるようになる。その後、社会人になって経済的にはそれなりになったし、通勤時間が読書時間にもちょうどよかった。ところがここ数年、急激にペースが落ちてしまいました。ヘタすると月に一冊読めない感じ。脳味噌が弱ってきたのか、集中力もダウン気味。 原因は?と、考えてみると、まず本屋さんの問題。1995年に博多に引っ越して、1999年に岡山でしょ、京都・大阪に比べると本屋さんが少ない。タマに京都や大阪に行って馴染みの本屋さんに寄ると、たくさん本を買ってしまいますもの。ま、博多も岡山もそれなりの都会で、うんと地方に住んでいらっしゃる方に比べると、ちゃんとした本屋さんはあるほうでしょうが。 通勤途中とか、必ずマメに通う本屋さんを作らないといけないんでしょうね。どこの棚にはなにがある、なんて完全に暗記するようにならないと本は買えない。幸い、ごく近所(自宅から歩いて5分)に大型の郊外型本屋がオープンしてくれて、BOOK OFF(歩いて10分) と並んで、休日の憩いの場になりました。それでも、どうも思い描いている「本屋さん」とは違和感が少々有。 「欲しい本がない」というのは、ワタシの知的好奇心が薄れているのでしょう。でも、「本を買いたくなる本屋さん」ってあると思います。「時間がない、本屋さんが近所にない」という方が、NETで本を注文できる時代となりました。それはそれでありがたい仕組みではあるけれど、できれば「なんかおもしろい本、ないかな」と探してみたいもの。コンピューターは「決まったものを検索する」のは得意でも「なんとなく漠然とした希望を見つけだす」って、できないでしょ。 ・・・・・・・てなこと書いていて、じつは頑張って毎週一本ずつ「本で読む音楽」を書き足していたけど、今週は出張続きや職場の「お別れ会」(異動の時期なもんで)、年度末締めとかで、まとめる時間がなかったんですよ。それに、出張に持っていった「グレン・グールド 孤独のアリア」(ミシェル・シュネデール〜ちくま学芸文庫)が、難解すぎるというか、ワタシの知能では消化しきれないというか、新幹線のなかで良き睡眠薬になったというか・・・。なさけない。ま、雰囲気はわからんでもないが、もっと平易な表現はないものか。(負け惜しみ) ゴマカシの更新でした。え〜、これから真面目にお勉強します。
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