Mozart ピアノ協奏曲第12/20番/ロンド ニ長調K.382
(キーシン(p)/スピヴァコフ/モスクワ・ヴィルトゥオージ)


BRILLIANT 92118/1 Mozart

ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414(1984年ライヴ)
ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
ロンド ニ長調 K.382(以上1990年ライヴ)

エフゲニ・キーシン(p)/ウラディーミル・スピヴァコフ/モスクワ・ヴィルトゥオージ

BRILLIANT 8528/1  5枚組1,780円のウチの一枚

 RCAに同じ演目の録音が存在する(BVCC-132)けれど、こちら少々音の肌理も粗い米PIPELINE原盤のライヴ(放送録音?)となります。おそらくはライヴの評判を受けて、スタジオ録音したものでしょう。Mozart 「無条件幸福」のワタシではあるけれど、これは”どれを聴いても楽しい!”的、安易ぬるま湯姿勢を打ちのめすような凄い演奏です。ああ喧しい、元気良すぎ、と反発しつつ、やはりこれも魅力あるひとつの表現だ、と確信いたしました。

 流麗で颯爽としたオーケストラで開始されるイ長調協奏曲。やや速め、前のめりのテンポ、きらきらと遠慮会釈ないタッチは当時13歳の輝きであります。例えば、クララ・ハスキルのニュアンスと洗練に充ちたピアノが脳裏にあれば、少々元気良すぎて表現に陰影不足かも知れません。その弱点を凌駕するウキウキと沸き立つような勢い、華やぎがありました。MOZATは難しいんですよ、誰にでも弾けるが、容易に弾き手の個性を刻印できない。

 第2楽章「アンダンテ」がJ.C.Bach (大Bach 末子)追悼の意味になっているとは、ネット検索で初めて知りました。なるほど「アヴェ・ヴェルム・コルプス」に似た雰囲気もある名旋律。清潔明快なタッチには”精神的深み”を期待できないだろうが、これで充分作品の味わいに不足はないと感じます。余計な情感の移入、色付けは不要。子供の演奏とは俄に信じられぬ。”こんなところに名曲が隠れていた”と、自分の不明を恥じるばかりの感慨有。

 第3楽章「アレグレット」の若者らしい、溌剌とした表現、弱音でさえハズむような明朗さは作品に似合っているでしょう。ライヴの熱気と勢いもプラスされておりました。(熱狂的な拍手有)

 さて、20歳になったキーシンのライヴは劇的(おそらくはもっとも有名なる作品のひとつ)ニ短調協奏曲となります。スピヴァコフ率いるモスクワ・ヴィルトゥオージは”流麗で颯爽”ではなく、かなり根性入って熱演しております。キーシンは冒頭、テンポを落としてオーケストラと安易に融和しない。タッチはより強靱であり、主張と個性が(前曲より)増進しております。元気と勢いだけではなくなったキーシンの成長でしょう。

 しっかりとした芯を感じさせ、明るいが”男性的”なピアノであり、雄弁、変幻自在〜だけれど、そこは未だ若者、勢いと元気は健在であります。音質の印象故か、先のイ長調協奏曲ほどピュアな輝きではなく、より激昂した”ああ喧しい、元気良すぎ、と反発”印象がないではない。カデンツァ(誰の作かは残念ながら知らぬが)には、息を飲むような緊張感漂いました。

 第2楽章「ロマンツェ」は少々(ピアノの)表情が硬いか、雄弁過ぎか。(オン・マイクな録音印象かな?)中間部はテンポもアップして、圧巻の盛り上がりを作り上げ、主旋律との対比を作り上げました。問題は終楽章でして、強靱明快なタッチは勢いを増して、フィナーレへと突き進みます。颯爽と速めのテンポは熱気は増すばかり。華やかなカデンツァを悠々とこなして、いよいよ最終盤〜事件はここで発生!しました。

 ファゴットのアルペジオ→オーボエのはずが、オーボエが同時に出てしまって、当然次で落ちてしまう・・・ライヴ故の記録でして、キーシンは猛然とソロを突入させてムリヤリ大団円を作り上げました。ミス・タッチを論(あげつら)うことを由とはしないが、どきどきしますね。オーボエ氏は演奏会の夜眠れなかったんじゃないか、そんな心配しちゃいました。

 それも含めて、もの凄いアツい演奏でした。聴衆の拍手に一瞬間が空くのはそのせいか。

 ロンド ニ長調 K.382はワタシ大のお気に入りの牧歌的作品(変奏曲)だけれど、アンコールですか?落ち着きがなくて、これはいただけない演奏。表情の付け方も少々わざとらしい。

(2007年10月19日)

 

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written by wabisuke hayashi