Bruckner 交響曲第3番二短調(ノヴァーク版第2稿)


Bruckner

交響曲第3番二短調(ノヴァーク版第2稿)

Wagner

歌劇「リエンツィ」序曲

本名徹次/明治大学交響楽団

(1998年12月12日 東京オペラシティコンサートホールにおけるライヴ録音)

 「海賊音源流出!」って、これ関係者からの「音楽の貢ぎ物」。最初カセットで送ってくれて、「MD購入!」とHPに掲載したら、ご丁寧にもMDで再送してくれたもの。いや、もうこれがたいへんなんですよ・・・・(と、懐かしの林家三平風に)。

 日本でねぇ、しかも学生さんでしょ。ここまでBrucknerのアツい演奏ができるようになったんですねぇ。細かいキズを指摘したらなんぼでもできるでしょ。(終楽章のエコーが上手くずれていない・・とか)そんなこと、枝葉末節なこと。これは激演。

 1999年夏に、有名なクナッパーツブッシュ/ウィーン・フィルのCDを聴いてから、ほかのを聴けなくなってしまっったワタシ。スクロヴァチェフスキも買ったまま未開封、ティントナーはナント購入していないという状況。従ってワタシにとって、これが久々の「ワーグナー」交響曲。カセットのときも「なかなか」と思ったけど、MDの威力はたいしたもので、オーケストラの熱気が押し寄せてくるよう。

 ワタシ、朝比奈翁の演奏には辛いんですよ。(世評高く、大人気だから)だけどアマ・オーケストラには大甘。例が適切じゃないかもしれませんが、シゲティのBach があるじゃないですか。「精神性を感じさせる音」なんて、昔から評価されていて「ケッ!」なんて思っていたんですが、実際に(FM放送で)耳にすると打ちのめされた経験があります。技術的にはよろよろ、音色も汚くてそうとうヤバイ演奏。

 でも、これが心を打つんです。「音楽の美しさとはなんなのか」という、根元的な問いを突きつけられたような、そんな思い。明治大学の学生さんの演奏を聴いて思いだしたのは、このことでした。

 本名さんも若手だし、演奏者はもっと正真正銘の若者ばかり。こんな爽やかなBrucknerって、滅多にないと思うのです。冒頭の弦のトレモロから、牧歌的なホルンの響き、木管の優しい歌。細部をほじくり返せば、技術的な指摘はいくらでもできる。「水が滴るような練り上げられた弦」「圧倒的深みを感じさせる金管」「超セクシーな木管」のはず、ありません。ミスタッチも(もちろん)有。

 でもこれ、「学生さんのライヴだよ」と教えてもらわなくても、充分魅力的です。リズム感がいい。フレージングが清潔で、明快。キリっとしてダレたところがまったくない。若手、そして日本人演奏家には「Brucknerの間」が表現できていない場合も見られるのですが、ここではそんな不満はありません。演奏者がほんとうに音楽に感じていて、アツく、スケールも大きい。

 これを読んでいる人、おそらく誰も信じられないでしょうが、弦にせよ、金管にせよ、「音の薄さ」をほとんど感じさせないのです。技術的な弱さもありません。ワタシはホルン(これこそBrucknerのキモ)が立派だと思いました。トランペットも、いや、木管だって、弦だって、存分に絡み合って、もう怒濤のアンサンブル。

 「これ、オーストリアの地方オーケストラのライヴだよ」と、覆面で聴かせて何人見破れるでしょう。少なくともワタシは降参です。聴いているうちに、こみ上げてくるものがたしかに存在する。アダージョは難しくて、静かな弦(ここの出来は出色)に金管がそっと乗せていくと音が裏返ってしまうけれど、旋律を大切にする気持ちが伝わってくるよう。

 スケルツォこそBrucknerのメルクマールですが、この荒々しいエネルギーの奔出。若さ溢れるエネルギー爆発。フィナーレまでテンション落ちず。Brucknerの演奏にはそうとうの体力が必要だそうで、FMで聴く、日本のオーケストラでも最終楽章に疲れが見えることもあります。でも、若さでしょうねぇ、ますますアツく燃えて終了します。

 学生諸君にはいくら賛辞を送っても足りないくらいですが、Bruckner指揮者としての本名さんの力量も目を見張るばかり。なんの前提条件も付けずにコメントすれば「ややアンサンブルは粗いが、勢いとリズム感、迫力充分な演奏」となるでしょうか。

 一気に2回も続けて聴いてしまいました。「リエンツィ」序曲が余白に収録されているんですが、これも爽やかで気持ちの良い演奏でした。最高。


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written by wabisuke hayashi