Mozart レクイエム ニ短調K.626
オイゲン・ヨッフム/ウィーン交響楽団/ウィーン国歌劇場合唱団
(1955年生誕200年ライヴ)


これはネットで拾った画像 Mozart

レクイエム ニ短調K.626

オイゲン・ヨッフム/ウィーン交響楽団/ウィーン国歌劇場合唱団(指揮:リヒャルト・ロスマイヤー)
イルデガルト・ゼーフリート(s)/ゲルトルーデ・ピッツィンガー(a)/リヒャルト・ホルム(t)/キム・ボルイ(b)/アーロイス・フォーラー(or)/大聖堂助任司祭ベナル(司式)

1955年ライヴ/生誕200年ウイーン・ステファン大聖堂において彼の命日に行われたミサ

ネットより拾った音源

 若い頃LP時代かな、FMでこの演奏を聴きました。なんとも言えぬ”本場”の雰囲気に深く感銘して、レコード入手しようと思ったら「典礼」部分がカットされたものであった・・・かどうか、記憶も薄れる21世紀であります。こうして時代は変遷して、パブリック・ドメインとして拝聴なりました。こういったパターンは”いざ、聴いてみたら・・・”すっかり演奏スタイルやら、音質やら現代の耳に耐えられぬ・・・ことないでもない〜とくにこの辺りの音楽は古楽器の洗練を受けたし、声楽スタイルはもっと変化激しいですから。もちろん音質問題もあります。

 出会いは小学生時代?カール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団(1960年)でした。厳しい集中力、劇的かつ美しい旋律に一発で痺れました。じつはLP処分以来、数十年聴いていないんです。それ以来、どんな演奏を聴いても感動するし、どこかちょっぴり足りぬような・・・ペーター・ノイマン/ケルン室内合唱団(1991年)の超絶的な声楽技巧に驚いたのは数年前、久しく聴いておりませんでした。さて、既に半生記を経たモノラル・ライヴや如何、ってなんども拝聴済。ネットより音源入手自主CD前提に、かなり奥行き残響たっぷり。熱心なキリスト教幼稚園に2年通っていたワリには、宗教的儀礼知識皆無故、聴いたまま雰囲気堪能いたしました。

 いきなり会場(リアルな聴衆ノイズ有)に”ちりり〜ん”と小さな鐘?の音色、「入祭唱」の旋律オルガン(アーロイス・フォーラー)が粛々と鳴り響いて、荘厳なる雰囲気一気に高まります。消え入ると同時に「入祭唱」開始、十字架を抱え重き足取りにてゴルゴダの坂を上るが如き、引きずったリズム。限られた編成(フルート、オーボエ、クラリネット抜)によるくすんだ響き。ウィーン交響楽団の弦は好調と感じます。キリエ(憐れみの賛歌)へ。朗々と時代掛った詠嘆表情豊かな声楽陣、雄弁に盛り上げるヨッフムのスタイルはお馴染み、しかし少々抑制気味。といってもスケール、この劇性は現代では聴けないかも知れません。この辺りの重さ、情感に入り込めれば、もう大丈夫。二重フーガの魅力はBach と甲乙つけがたいもの。

 ここでベナルさんの説教開始、甘美ですね。洋の東西を問わず坊さんは美声なんです。抑揚があるんだかないんだか?不思議な声は時に唱和して、意味はわからずとも高まる宗教的敬虔なる精神。これが聴きたかった!そのまま「怒りの日」へ突入。これがまさにヨッフムの真骨頂、煽って疾走する重厚ド迫力。「奇しきラッパの響き」トロンボーン・ソロに味わいがあり、キム・ボルイ(b)の磊落な歌〜テナー、女声ソロへ引き継がれて、これも現代の感覚から言えば、かなり”オペラ”風であります。「恐るべき御稜威の王」も引きずるような合唱も現代では聴けない劇性、テンポ設定もゆったりめ。「思い出したまえ」は優しくも雄弁な声楽ソロの絡みあい、「呪われ退けられし者達が」に於ける器楽+男声による激しいリズムと、天使の歌声のようなか弱い対比も見事(というかしつこいくらい)。(映画「アマデウス」を思い出します。病床のMozart は口頭でSalieriにこの部分を伝えます=もちろんフィクション)

 ラクリモーサ「涙の日」は言わずと知れた絶筆部分。これも「入祭唱」同様の引きずるリズム強調、ヨッフムの表現はいっそう入念です。名曲。ここで再び、司祭ベナルさん登場。例の如し美声、朗々とした説教を拝聴していると陶然といたします。鐘も鳴ります。続いてドミネ・イエス「主イエス」静かに突入、ここも次のオスティアス「賛美の生け贄」(アヴェ・ヴェルム・コルプスにやや似ている)も師Mozart の意向が残っているらしいけれど、Su”smayrの手に掛かる部分は(事前基礎知識なしに)”前半となんか違う”、やや落ちると感じておりました。作品旋律そのものは拝聴すべき美しさに充ちているけれど、前半とは個性が異なります。後半フーガは、キリエ「憐れみの賛歌」に比べれば類型的というか、なんというか・・・三度、司祭ベナルさんの出番。こうしてみると、説教と音楽は一体となるべきもの、との実感ありますよ。鐘が3回鳴ります。

 それにしても表情は豊か(濃い)ですよね。サンクトゥス「聖なるかな」の明るいスケールも時代の表現か。ここで静謐なるオルガン・ソロ+鐘(幾度鳴らされる)登場。この鐘の位置関係存在感が聴きものです。違和感なくベネディクトゥス「祝福された者」の声楽ソロのフーガへと引き継がれました。ここは弟子筋渾身の出来じゃないか。司祭ベナルさん歌うように登場して、いよいよラスト接近しております。アニュス・デイ「神の小羊」は劇的表情豊かなもの。

 ラスト、ルックス・エテルナ「永遠の光」は、「入祭唱」 レクイエム・エテルナム「永遠の安息を」と同じ旋律、やはり師匠の腕は桁違いのドキドキ感有。ここに至って、入念なる重さ、表情付にすっかり耳慣れて、精神(ココロ)はすっかり敬虔に染まっております。所謂合唱の精密アンサンブルがどーの、もっと軽快なリズムを!みたいな世界とは一線を画す、儀式典礼としてのライヴを堪能いたしました。締めはもちろん、司祭ベナルさんのありがたい説教+物哀しいオルガンであります。

(2013年6月16日)

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written by wabisuke hayashi