Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調
(ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団1970年)


Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調(ハイティンク/コンセルトヘボウ管1970年) Mahler

交響曲第5番 嬰ハ短調

ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団

PHILIPS 442 050 2 1970年録音 中古10枚組3,050円(税抜)で購入

 1960年〜70年代くらい迄、ハイティンクの評価は(少なくとも日本では)芳しいものではなく、やがて80年代以降の成熟により、コンセルトヘボウだけではなく、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ボストン響、シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏会や録音で高い評価を得ることとなりました。現在、シカゴ交響楽団にて美しい最晩年を過ごしているのは周知の通り。過日、BBSにて

ハイティンクのマーラーはベルリン・フィルとの全集が完成していないのが残念ですが、コンセルトヘボウとの全集は珠玉です。ただし、注意して聴いていないと流れてしまって印象に残らない(私だけか?)。じっくり聴くと「滋味」溢れる演奏ですね
とのコメントがあり、おおいに共感。LP時代は、一段低いような扱いをされたかも知れないが、こうして再確認すると、いやはやなんと立派な、美しい演奏でしょうか。中古とはいえ、かつてのCD一枚分で入手できるとは・・・感慨深く入手したのは2003年9月渋谷。この執筆段階では著名ディジタル音源全集が、いくらでもこの価格にて入手可能となりました。

 EMI選りすぐり16枚組に、世評高いクラウス・テンシュテット/ロンドン・フィル(1988年ライヴ)が含まれます。未だ聴き込みが足りぬから安易に判断できぬが、ワタシにはどーもぴん!と来なかった。ここのところ(珍しく)お仕事テンパっていて、音楽に集中すべき精神的余裕がなかった、ということでしょう。ところが、この昔馴染みのハイティンク旧録音だったら文句なし、一切の迷いなく、安心して音楽に没入できる。ただし、注意して聴いていないと流れてしまって印象に残らないなんてことはない、いきなり聴き手を感銘の渦に叩き込むべき演奏。じっくり聴くと「滋味」溢れる演奏に非ず、じっくり、静かに噛み締めたくなる「滋味」溢れる演奏なんです。

 熱狂、情熱、絶望、憧憬、情感をむき出し雄弁絶叫演奏も嗜好でしょう。一概にそれを否定するものではありません。【♪ KechiKechi Classics ♪】にてエエ加減なるコメント続けて十余年、ハイティンクの演奏になると”エエ加減コメント”三倍増に至ります。つまり、特別に”ここが凄い!”、”この壮絶なる個性を聴いてくれ!”的ポイントが指摘しにくい。冒頭、トランペット・ソロが舞台中央やや上で開始し、やがてオーケストラが盤石の余裕で参入し、鳴り響きます。そのたしかな空気感、各パートの自然な位置関係、音色の美しさ、厚み、奥行き、弱音までク細部クリアに存在感を主張してバランス抜群。コンセルトヘボウという会場を本拠地とするオーケストラが、当たり前のように自然体で鳴っていて、渾身の爆発部分でも余裕で響きは濁らない。練り上げられたサウンド。暖かく、清潔であり、鋭い刺激皆無。

 交響曲第5番 嬰ハ短調は異形な、怪しくもグロテスクな作品と思っていても、ハイティンクの手に掛かると、極めて真っ当な、美しい作品として鳴り響きました。約70分、一気呵成になんの痛痒もなくするすると聴き通せる耳あたりの良さ〜それは表面を艶やかに磨いたサウンドという意味ではなく、コンセルトヘボウ各パートのしっかりとした歌、存在感を愉しめるということ。第1楽章「葬送行進曲」には重苦しいものものしさ皆無、第2楽章「嵐のように荒々しく動きをもって。最大の激烈さを持って」だって、たっぷりオーケストラは鳴りきっているのに、喧しくならない。力みもない。

 第3楽章「スケルツォ」はのびのびと牧歌的であり、(もちろん/いうまでもなく)ホルンは絶品!第4楽章「アダージエット」は清涼感漂う弦が清潔で暖かい。ま、ここはエッチなところですけどね。第5楽章「ロンド・フィナーレ」に疲れは見えず、オーケストラは余裕でじわじわとテンションを上げて、聴き手をいつの間にか大音響に包み込むが、それはあくまで優しい響き・・・

(2010年6月25日)

【♪ KechiKechi Classics ♪】

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written by wabisuke hayashi