Mahler 交響曲第4番ト長調(エドゥアルド・ファン・ベイヌム/
コンセルトヘボウ管弦楽団/マーガレット・リッチー(s)1951年)


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交響曲第4番ト長調

エドゥアルド・ファン・ベイヌム/コンセルトヘボウ管弦楽団/マーガレット・リッチー(s)(1951年)

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 21世紀、情報は公開され、嗜好は多様化いたしました。音楽に限らないが、”絶対的権威”、例えば”不朽の名演”、”究極の一枚”、そして”最後の巨匠”みたいな言葉はすべて”死語”となりました。何でも選べる、自分で選ぶ、というのはある意味凄いストレスなんですってね。1960年前後、Mahler のような大曲は選択の余地が少なかったが、現在なら選び放題、好き放題。この自主CDは【♪ KechiKechi Classics ♪】 ではお馴染みの存在だけれど、既にワタシの棚中にはかつて所有していた”歴史的録音”中90%を処分済み。だって、概ねネットでフリーダウンロードできますもん。ワタシの耳はエエ加減なので、おおよそ様子がわかればいいや、といった思想であります。音質の改善を求めて、あらゆる同演奏別音源を買い集める、といった嗜好は持ち合わせておりません。

 ベイヌムの第4番(1951年)は、LP時代に所有しておりました。歴史的音源の”音質評価”はムズかしくて、ましてやワタシはオーディオ門外漢。できるだけ新しい、ディジタル時代以降のものを聴くように心がけているが、時にモノラルでも充分聴ける水準の音質、そして説得力ある演奏じゃないか、と驚かされることもあるんです。まさに、これがそれ。たしか英DECCA録音でしたよね。Mahler は大好きだけれど、ここ最近第4番はちょっと避けていた感じもあるんです。この録音で久々に新鮮な感覚を取り戻しましたね。

 第1楽章「中庸の速さで、速すぎずに」〜まさに指示通りの開始。表現そのものは淡々として、前任メンゲルベルクのように表情濃厚自在にテンポが揺れるものではない、ややさっぱり目な(そっけない?)味付け。颯爽として溌剌としたリズム感が漲(みなぎ)って、センスはモダーンであります。暖かくも深々とした(馴染みの)コンセルトヘボウの厚みのある響きをたっぷり堪能できます。木管、ホルン辺りが納得のサウンドであります。

 第2楽章って、スケルツォだったんですね。なんとなくユーモラスな雰囲気あります。「友ハイン(死神)は演奏する」怪しいヴァイオリン・ソロがポイント(なんともいえぬ妖艶な音色)だけれど、ここもさらさら流れてテンポは速め、そして表現はストレート系で余計なる贅肉少なめ。なんとなく弦にポルタメントが残っている感じはあるんだけれど、昔風前時代的テイストではないんです。相変わらずフルート、そしてトランペットもエエ音で鳴ってますよ。

 第3楽章は正真正銘アダージョ楽章であって、複雑なる変奏曲となります。こんな静謐な音楽は、オーディオ条件が整っているほうが有利に決まっております。それでもコンセルトヘボウのくすんだ、コクのある弦の音色はたっぷり堪能可能。ここのヴァイオリン・ソロも素敵ですね。名手ヘルマン・クレッバースのコンマス就任は、たしか翌1952年だから、前任なのでしょう。自然な流れを重視しつつ、変奏は次々と景色を変えていくが、基本は穏健ストレート路線。やがてオーケストラは大爆発するが、その迫力、厚い響きに不満はない。

 第4楽章「非常に心地よく(Sehr behaglich)」。交響曲第3番ニ短調第5楽章「カッコウが私に語ること−朝の鐘が私に語ること−天使が私に語ること」 (女声ソロ+少年合唱団の無垢な世界)によく似ております。もともとの構想が一緒の作品だからそれは当然なのでしょう。マーガレット・リッチーは1950年代に多く録音を残した人だけれど、時代の産物なのか、あまりに表情が硬質、声質にも柔軟性を欠いて満足できません。いくらオーケストラが素晴らしくても、終楽章にて画竜点睛を欠く思い。残念。

(2011年5月27日)


【♪ KechiKechi Classics ♪】

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written by wabisuke hayashi