Mahler 交響曲第1番ニ長調
(ズービン・メータ/ニューヨーク・フィルハーモニック)


Mahler 交響曲第1番ニ長調(ズービン・メータ/ニューヨーク・フィルハーモニック) Mahler

交響曲第1番ニ長調

ズービン・メータ/ニューヨーク・フィルハーモニック

CBS/SONY FDCA331 (p)1982年 250円(中古)にて購入

 ズービン・メータはワタシの少年時代(1970年代?)ロサンゼルス・フィルを率いて華やかな大曲を多く録音し、大ベストセラーだったと記憶します。やがて、名門ニューヨーク・フィルの音楽監督に抜擢され、長く任期を務めた(1978〜91在任)が人気・評価はいまひとつ・・・閑話休題(それはさておき)、この作品はメータ得意のものであって、モントリオール交響楽団(1963年ライヴ)、イスラエル・フィル(1974/86年二種)、そして、この録音のあとにニューヨーク・フィルとの再録音があったはず・・・(記憶曖昧)。だいたいネットで検索掛けても、このSONY盤の正確なる録音情報が探せません。

 「録音情報」どころか、(この録音)演奏に対する言及もほとんど出現しません。現役ではないが、なぜか不思議と中古ではやたらと見掛けるCDです。ま、250円(税込)だし・・・ということで入手したものだけれど、忘却されるにはもったいない価値ある演奏だと感じました。ニューヨーク・フィルのアンサンブルが安定しており、骨太で暖かい金管が良く鳴って、しかも耳に煩くない・・・自然体の優秀録音也。

 おそらくは多くの同世代と同じように、ワタシの刷り込みはブルーノ・ワルター/コロムビア交響楽団(1961年)〜胸が痛むような切ない青春の歌。基本、穏健派の表現でありながら、時に荒々しい爆発を伴って陰影豊かに呼吸するリズムに、聴き手の身体(からだ)も揺れます。21世紀の耳で聴けば、アンサンブルの精緻さに問題を指摘することは可能だろうが、枝葉末節な論評を許さぬ圧巻の感動が(少年時代と変わらぬ水準で)迫りました。(やや作り物めくが)かなりの輝かしい優秀録音。

 ま、なんせ小学生以来の”刷り込み”ですから。個性の相違は当然として、メータ盤との違いはなにか。

 厚みのあるホルンは朗々と魅力的であり、アンサンブルの集中力に於いて(1980年頃の)ニューヨーク・フィルは優秀な技量を誇っております。テンポのコントロールも指揮者の意欲に応えて、ニュアンス細かく表現されました。(例えば第2楽章)ところが”胸が痛むような切な”さが表出されない。第3楽章の葬送行進曲に”怪しさ”が不足するのは、コントラバス・ソロ、木管の付点リズムがスムース過ぎるからか。上手いし、整っているが、さらさらと流してしまう・・・音が安易に出過ぎるということか。

 終楽章はとても良いと思います。ここは根性入れすぎると、少々疲れてしまう”阿鼻叫喚”音楽なんです。余裕の金管が爆発しても、響きはクリアに全体がよく見えます。打楽器とのバランスが良い(位置関係もよくわかる)ことにも好感が持てます。中間部の抑制も美しいが、濡れたような情感には乏しいか。(”濡れたような情感”を求めない人もいるでしょうが)

 ニューヨーク・フィルの金管は盤石ですね。自信を以て鳴り響いて、爽快そのもの。ラスト大団円に保留条件なし。

(2007年9月21日)

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written by wabisuke hayashi