Mahler 交響曲第3番ニ短調/第10番 嬰ヘ短調「Adagio」
(アントニー・ヴィト/ポーランド国立放送交響楽団)


NAXOS 8.550525-26 Mahler

交響曲第3番ニ短調
交響曲第10番 嬰ヘ短調「Adagio」

アントニー・ヴィト/ポーランド国立放送交響楽団/クラクフ少年合唱団/クラクフ・フィルハーモニー合唱団/エヴァ・ポドレシ(con)

NAXOS 8.550525-26 1994年録音

 作品との出会いは1980年代?FMから流れたクラウディ・アバドによるザルツブルク音楽祭ライヴ。四管編成に+多種多様な打楽器、アルト独唱、女声合唱児童合唱団も入る巨大なる編成。Mahlerの作品中、現在これが一番好き。第1楽章のみで30分を超える長大なる作品、ギネス級でも明るくわかりやすい旋律が印象的です。

 Antoni Wit(1944ー波蘭)とMichael Halasz(1938-洪牙利)が振り分けた、NAXOSのMahler全集を2021年末に順繰り聴いておりました。21世紀はMahlerブームとなって前世紀末より全世界実力派オーケストラがつぎつぎ録音して、こちらポーランド国立放送交響楽団(カトヴィツェ)は少々地味な存在かと思います。作品や演奏家に敬意を表しつつ、オフ・マイクっぽい音質、やや薄く細く色気に足りぬ硬い響き、オーケストラのパワーや厚みにちょっぴり不満を感じていたのも事実。新年なので真面目に集中して拝聴いたしましょう。誠実に飾りの少ない演奏はクールに慌てず、作品を堪能するにはこれでも充分でしょう。

 第1楽章「力強く、決然と (Kraftig. Entschieden.)」冒頭8本のホルンによるわかりやすい、決然と力強くシンプルな旋律が強烈。やがて冒頭旋律が発展しつつ延々と「メーデーの行進」が続いて、熱気とノリ、勢いが続きます。この演奏を最初に聴いたときには(先程書いたように)響きに厚みが足りぬ?そんな感慨を得たけれど、ボリュームを上げて集中すればさほどではない。但し低音は弱く、各パート(とくに管楽器)は少々技術的に弱く感じる場面はあって、ヴァイオリン・ソロも線が細い感じ。20分過ぎくらいからのテンポ・アップは雑然として、メーデーの行進は混雑して足並み乱れ・・・23:22の小太鼓に再度整列(←この存在感が弱い)ホルンの斉奏に仕切り直し、冒頭の怪しい再現となります。トローンボーン・ソロは優秀でしょう。長大な楽章はなかなかの力演に盛り上がって締めくくり、艶というか華やかな音色をもうちょっと求めたくなりました。(33:15)

 第2楽章「テンポ・ディ・メヌエット きわめて穏やかに (Tempo di Menuetto. Sehr massig. Ja nicht eilen!)」冒頭牧歌的なオーボエの音色が魅力的、それを受ける弦に厚みは足りぬ感じ。静謐に優雅な楽章が「Menuetto」(!?)ねぇ、HayndnやらMozartとはずいぶん遠いところに来てしまいました。リズムは繊細に変化していや増す緊迫感、細やかなニュアンスに富んで、躊躇いがちに控えめな演奏は上々の美しさでしょう。(10:33)

 第3楽章「コモド・スケルツァンド 急がずに (Comodo. Scherzando. Ohne Hast.) 」軽快剽軽なスケルツォ楽章。冒頭の哀しげな旋律は歌曲からの引用なんだそう。やがて晴れやかな表情に盛り上がって、この楽章のキモは中間部の静謐な心の安寧を感じさせるところ、ポストホルン・ソロでしょう。これも心奪われるほどの際立った存在感に非ず、誠実着実控えめな演奏。先のヴァイオリン・ソロと似たような感想でした。ホルンは立派ですよ。ラスト快活な風情が戻って、繊細な軽さが光って、パワフルに盛り上がります。小鳥が啼き交わすような木管のやり取り、ポストホルンが遠くに響きました。(18:12)

 第4楽章「きわめてゆるやかに、神秘的に 一貫してppp(ピアニッシシモ) (Sehr langsam. Misterioso. Durchaus ppp.) 」はエヴァ・ポドレシによる深く、耽溺するようなコントラルト独唱。ホルンによる遠くからのオブリガート付き、オーボエの合いの手も入ります。ここでの弱音は雰囲気たっぷり。消えゆくようにアタッカで(9:34)第5楽章「快活なテンポで、大胆な表出で (Lustig im Tempo und keck im Ausdruck.) 」へ。ここは児童+女声合唱による天使の詩。この浮き立つようにリズミカルな歌は初耳より大好きでした。その流れをせき止めるようにコントラルトの独唱が切々と暗転して訴えます。ここでの声楽陣には文句なし。音質もリアルかと。(4:14)

 そして万感胸に迫る第6楽章「ゆるやかに、安らぎに満ちて、感情を込めて (Langsam. Ruhevoll. Empfunden.) 」へ。これは弦による繊細に息の長い主題による変奏曲ですか?ゆるゆると音もなく流れる水源のようでもあり、それはやがて木管や金管が静かに参入しつつ大きな大河へと広がります。弱音が続いて弦の線が細く、弱く感じるのがオーケストラの技量かも知れません。金管は薄暗闇に差し込む一条の光のように映えて、この楽章全体に長いクレッシェンド風、いや増す感動の渦、シミジミ人生を振り返って黄昏る”My 葬式”推奨音楽堂々たるNo.1。やがてクライマックスの不協和音がやってきて、ここもパワーは足りないかも。やがて静謐に戻りつつ、上空に舞う小鳥のようにフルートは歌い、管楽器に導かれて大きなコーダへ感動的に締めくくられました。この辺り、各パートの色気がもうちょっとほしいところ。これは最高の名曲でしょう。(25:35)

 交響曲第10番 嬰ヘ短調「Adagio」は作曲者が完成した第1楽章のみ。冒頭ジミな音色のヴィオラは不安に揺れる心情を感じさせ、やがて始まる弦を主体にした美しい官能的な第1主題にも、静かな狂気を連想させて不安と虚無の陰は拭い切れません。剽軽な木管の動き、チェロのソロも怪しい。ホルンを先頭に金管の絡みは有機的、情感が高まっても、その印象は断片的。落ち着かない。やがて不協和音は悲劇的に崩れて、トランペットの絶叫が!この辺り、新ウィーン楽派への道は接近している手応え充分。(25:56)

(2022年1月1日)

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written by wabisuke hayashi