Mahler 交響曲第1番ニ長調
(ブルーノ・ワルター/ニューヨーク・フィルハーモニック 1954年)


Lily KLD-08(「かに座生まれのクラシック」スリーヴは既に捨ててしまった) Mahler

交響曲第1番ニ長調

ブルーノ・ワルター/ニューヨーク・フィルハーモニック

Lily KLD-08(「かに座生まれのクラシック」) 1954年録音 @800?/CBS音源の駅売海賊盤

 1990年代、LPを諦めてCDを集めつつあった初期の入手。現在でもBOOK・OFF@250コーナーで時々見掛けます。スリーヴは既に捨ててしまって、ワルターの正規録音ボックスにいっしょに収納しておりました。1961年コロムビア交響楽団との(音質優秀なる)ステレオ録音が有名(小学生だったワタシの刷り込みでもある)で、旧録音は話題になることも少ない〜どころか、新世代による新録音目白押しで、ワルターのMahler そのものが徐々に忘れ去られていく今日この頃であります。それに、このモノラル録音は音質があまり芳しくないんです。(但し、オリジナルは聴いたことはない)第1楽章、繰り返しなしはいつも通り。

 ワルター77歳の記録であり、まだ演奏会より引退前の気力充実が感じられます。ニューヨーク・フィルは明るく、骨太な魅力を誇って、アンサンブルの集中という点ではやや難有(とくに金管の乱れ/後年バーンスタイン時代よりはずっと上質)ながら、熱気溢れるもの。コロムビア響盤ほど枯れていない。基本、穏健派の表現は良く歌うものであって、エキセントリック鋭角な響きはどこにも伺えません。細部入念なるニュアンス前提に、テンポの極端なる変化もなし。彼にしてはわりと、相対的にストレート系演奏か。演奏会と並行して録音されたらしい。

 「A」で統一された幅広い、様々な楽器によって表現される自然の響きは、やはり優秀録音が効果的でしょう。しかし、「朝の野原を歩けば」(「さすらう若人の歌」より)の憧憬に充ちた旋律表現は、最近の若手にはマネできぬ味わい有。これは入念だったり、やたらとテンポをいじればOK、みたいなものとは違うんです。低音を強調する表現はいつも通りですね。この辺りの旋律印象は、皆「青春」を感じるんですね、初耳でも、予備知識なくても。

   第2楽章「スケルツォ」には独特の”リズムのタメ”がありました。圧巻のホルンを先頭に金管の迫力が凄い。中間部レントラーのさらりとした優しさは、ワルターの面目躍如でしょう。この楽章の賑々しい迫力は全曲中の白眉。

 第3楽章のコントラバス・ソロは理想の辿々(たどたど)しさ。最近は名手が多いから、チェロのような雄弁も散見されるが、それでは作品の趣旨から外れましょう。中間部「彼女の青い眼が」(「さすらう若人の歌」より)の旋律は夢見るように美しく、懐かしく、慈しむように歌い上げられます。ここ絶品!テンポの変化少なく落ち着いて、やはり穏健派の則は崩しません。

   終楽章も抑制が利いたものであって、”壮絶なるフィナーレ”的喧しさばかりの大爆発に非ず。むしろ時に過去を回顧するような、静謐な部分での美しい表現がワルターらしい。録音では少々疲れる楽章だけれど、ナマ演奏だと視覚的な意味合い(ホルンのベルアップとか立ち上がりとか)も含め、けっこう楽しいものです。気力溢れるワルターは、けっこうテンポをアツく煽ってクライマックスを形作りました。音質云々は忘れいただきましょう。

 蛇足です。関連記事をネット検索していたら、「貧しかったのでモノラル録音のLPしか買えなかった」〜この意味は若い世代には理解できないだろうなぁ。新旧録音が存在したら、旧いほう(この場合モノラル盤)は値段が安かったんです。基本、日本人は「新物好き」ですし。現代ではそんな概念も崩れちゃったかな。価値観が多様化(マニア化)して、”入手困難なる旧録音が高値で取引!”みたいな時代になりました。感慨無量。

(2008年7月11日)

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written by wabisuke hayashi