Mozart ピアノ協奏曲第20/13番
(ヤンドー(p)/リゲティ/コンチェントゥス・ハンガリクス)


Mozart ピアノ協奏曲第20/13番(ヤンドー(p)/リゲティ/コンチェントゥス・ハンガリクス)

Mozart

ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
ピアノ協奏曲第13番イ長調K.415

イェネ・ヤンドー(p)/リゲティ/コンチェントゥス・ハンガリクス

NAXOS 8.550201  1989年録音(5枚組2,300円で購入したウチの一枚)

 第9/27番の演奏スタイル、感想と変わらないというのが結論となります。

ほとんど特別な色付けがない、軽快で淡々と進むピアノ。リキみも濃厚な情感の揺れもない、テンポは常に適正を感じさせ、激昂しない、強面にならない、叩かない・・・ていねい明快だけれど、神経質ではない。さほどの艶やかな美音でもない。自在かつ正確な技巧を誇るが、聴き手にそれを意識させることはない。結論的に、ほとんどMozart の素の魅力が表出して、銘水を味わうかのような、ひんやり清冽な悦びに充たされました。(これは協奏曲全曲通して、ほとんど例外がない)
〜まさにこの通り。付け加えるべきものはない。

 後は蛇足だけれど、いくつかコメントの寄り道を・・・2007年大阪へ異動(というか回帰)して、人間50歳過ぎてお仕事環境激変すると柔軟性失って(もちろん知力体力も落ちているし)いろいろ苦労しております。毎日毎日新たな”疲れ”が澱(おり)のように積み重なっていく〜音楽に対する集中力も失いがち。「き〜ん」といった耳鳴りも酷いが、脳髄奥底から聞こえてくる音楽は我らがヴォルフガングであります。それもピアノ協奏曲の、ソロ以外のバックの管楽器の旋律。例えばK.466だったら、終楽章ラストのファゴット〜オーボエの掛け合い。K.482だったら、第2楽章「アンダンテ」に於ける管楽アンサンブルの妙・・・ところが、実際音にして聴いてみるとその感慨は、儚くも雲散霧消してしまします。

 寄り道もうひとつ。2006年から大量にCDを処分しつつあります。Mozart は「目に付けば!安ければ!」必ず購入、というお気に入りなので、ピアノ協奏曲もたくさん棚中に集まったものです〜それもかなり処分したんです。愛聴盤(のひとつ)であったゲーザ・アンダ全集が盤質劣化でダメになった、というショッキングな事件もありました。全集ものはともかく、単発CDは(おそらく)十数枚の単位で処分済・・・千度書くが、これは聴くべき音源の精査行為なんです。人生に音楽を聴くべき時間は限られているんです。

 朝刊熟読しつつ、朝食を摂るためにこの音楽を流したら、快い時間が流れました。細部まで聴き知った旋律故、どのような演奏だったか?いつ始まって終わったのか、記憶もありません。改めてコンポの前で集中したら、冒頭の感想に至って付け加えるべきものはない。あえて言及するとすれば、録音/音質も自然であるということくらいか。ニ短調協奏曲だからといって、デモーニッシュ深刻に仕上げることでもなし、いつもの、日常の、粛々と耳当たりの良い、美しいMozart 。演奏者の個性を特異に強調しない。これはバックも同様です。

 合計11枚6,299円の全集って、全然安くない相場入手でした。しかし、音楽の価値は”値段”ではない・・・からこそ、廉価盤を求めているのですが。

(2007年12月14日)


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written by wabisuke hayashi