Honegger 交響的詩篇「ダヴィデ王」(1921年)
(ミシェル・ピクマル/シテ島管弦楽団/イル・ド・フランス・ヴィットリア地方合唱団/ジャック・マルタン)
Honegger
劇的詩篇「ダヴィデ王」(1921年)
ミシェル・ピクマル/シテ島管弦楽団/イル・ド・フランス・ヴィットリア地方合唱団/ジャック・マルタン(朗読者)/クリスティーヌ・フェルサン(巫女)/ダニエレ・ボルスト(s)/マリー=アンジュ・トドロヴィッチ(ms)/ジル・ラゴン(t)/クララ・ゲージ(ボーイ・ソプラノ)
NAXOS 8.553649 1997年録音
これは小編成による「オリジナル版」(但し、ナレーター入りはオリジナルではない)であって、繊細かつ多彩、キラキラするような旋律連続の魅力であります。もちろんフランス語理解不能だけれど、筋書きは何となく想像できるし、言語そのものの美しい”響き”がなんとも快い。こんな魅力的な作品に出会うと、安易に著名名曲ばかり追い掛けるのが空しく感じるもの・・・とは2007年「音楽日誌」へのちょろ言及であります。
どちらかというと起承転結はっきりして「なにくそ!」「やる気があればなんでもできる!」根性系音楽は苦手、もうちょっと粋、肩の力を抜いたような音楽が好みなんです。日本ではBeeやん代表独墺系音楽が圧倒的人気ながら、ワタシはその辺りをご遠慮申し上げている・・・のは、各々の嗜好でしょう。でもね、油断すると音楽聴取の幅はどんどん狭まって「音楽のタコツボ」状態に陥る可能性有。かつて「BOOK・OFF@250出現したら(とにかく)全部買う!」的大胆なる意欲に溢れていた頃は、こんな素敵な音源との出会いもあったんです。パブリック・ドメイン音源はどんどんネットでダウンロード、みたいな時代に至った現在、ますます昔馴染み狭量守旧保守的な姿勢に至っている自覚ありますよ。
反省。
ミシェル・ピクマルもシテ島管弦楽団も(もちろん仏蘭西語も!)ようわかりまへん。声楽系の人?オーケストラはおそらくは録音用に集めたんじゃないか。音質はもちろん、オーケストラも声楽も頗(すこぶ)るみごとな技量。”オーケストラはわずか17人(管楽器と打楽器、ピアノ、チェレスタ、ハーモニウム。弦楽器はコントラバス1本のみ)という極めて特殊な編成”(「ウィキペディア」より)全曲66分、3部からなる”語られ、歌われる”作品。声楽陣の盛大なる活躍故か?こぢんまりとした室内的作品ではなく、壮大なるスケールと迫力充分と感じます。(但し、管弦楽改変した改訂版〜そちらが一般的らしい〜は聴いたことはない)
旋律はウェットな叙情、激情とは無縁、華やかであり、無機的であり、適度にハード。破壊的な不協和音は存在せず、アルカイックな場面が数々登場します。ナレーターの言語は一切理解できぬが、気持ちの高ぶりは理解可能。ワタシ如きド・シロウトがこれ以上言及するのもナニだけれど、いくつかお気に入りを〜
第1部冒頭の「羊飼いダヴィデの歌」は無垢なるボーイ・ソプラノに心洗われるよう。第1部はダヴィデが王になる前史なんですね。
第2部−「聖櫃の前の踊り」に於ける美しい管楽器の絡み合い(とくにフルート〜オーボエの受け渡しが壮麗)、ピアノ、チェレスタ、金管に乗った合唱は、華やか雄弁かつ切迫感たっぷりなこと!(10:50でここの部分が一番長い)第3部−詩篇「私は罪の内にはらまれ」の重々しい歩み〜詩篇「私は山の方へと目をあげる」はテノールの朗々と優しい歌に夜が明けるよう。続く「ヘブライ人たちの行進」は、戦いに勝利した王の軍の行進なのに、なぜか不安な情景が浮かびました。音楽はカッコ良いっすよ。型にはまったありがちな行進曲に非ず。
詩篇「主よ、優しい愛であなたを愛します」は安寧敬虔なる歌に溢れ、「ソロモンの戴冠式」に於けるトランペットとホルンは洗練されております。ラスト「ダヴィデの死」、ソプラノはまるで天使のお迎えの如く天上から響きます(「ハレルヤ」の旋律は痺れるほど優しく、美しい)。やがて各合唱、器楽すべて参集して感動的なフィナーレがやってきました。 (2012年2月19日)
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