Haydn、Mozart 、Schumann ピアノ・トリオ集
(ギレリス、コーガン、ロストロポーヴィチ)


Haydn、Mozart 、Schumann ピアノ・トリオ集(ギレリス、コーガン、ロストロポーヴィチ) Haydn

ピアノ・トリオ ト短調第19(33)番ト短調 作品70-2 Hob.XV-19(1952年録音)

Mozart

ピアノ・トリオ第6番ト長調 K.564(1952年録音)

Schumann

ピアノ・トリオ第1番第1番ニ短調 作品63(1958年録音)

ギレリス(p)、コーガン(v)、ロストロポーヴィチ(vc)

YEDANG CLASSICS YCC-0104  10枚組2,990円(税込)で購入したウチの一枚

 以前メロディアから出ていたものと同一音源(疑似ステレオ化されていたらしい)と類推。こちらオリジナルのモノラル収録で音質良好です。「10枚組2,990円(税込)」なら!と購入してこそ出会った一枚で、音量の強弱とか、目眩く管弦楽の多彩な響きばかりではなく、もっとジミな世界も少しずつ掌中に入りつつある今日この頃(年齢〜とし〜か?)。Mozart 、Schumannはともかく、Haydnは録音も少ない・・・どころか「いったいいつ頃の作品か?」ということさえなかなか調べが付かない〜1793-94年の作品だそうです。Haydn 60歳過ぎての作品ですな。これが、いきなり聴き手の集中力を高める名作。

 「短調のMozart 」は、Haydnから影響を受けたのか?いえいえ作曲年代を考えると逆か、お互い様かも知れませんね。第1楽章のとつとつとした寂しげな表情は、いつもの明朗闊達なる作風とはずいぶんと異なって、しかも主旋律は時に安らぎへと変奏されます。(この辺りもMozart を連想させる)作曲年代的にピアノが主役だけれど、そこは弦を受け持つ名人二人、しっとりと伴奏の域を超えて瑞々しいアンサンブルを作り上げました。後半は馴染みの快活な表情(プレスト)が登場。

 第2楽章は淡々と無垢な世界が広がり、終楽章はワタシの浅薄なる先入観だと、やはり「短調のMozart 」が木霊(こだま)しますね。威圧感の薄いBeethoven も連想しちゃう。つまり、これは名曲だということです。ギレリスのピアノは軽快ではあるが、軽妙ではない。訥々として虚飾なく、無用な揺れも存在しない。

 我らがヴォルフガングが登場すると、それだけで音楽が流れる部屋の空気が一変します。これ、なんども経験済みでして、ワタシがまだ若く、貧しく、音楽をもっと大切に聴いていて頃、エア・チェック・カセットの余白無駄なく様々な音楽を埋めていた経験〜無定見に音楽は再生されていくが、Mozart が登場すると「はっ!」としたものです。なんの変哲もないような自然体の旋律が始まりました。このノリ、幸福感。

 第2楽章「アンダンテ」だって、手の込んだ複雑変化に富んだ旋律ではないのに、この暖かいやすらぎはどこから生まれるのでしょうか。最終楽章〜無心で子供達が春の草原で遊ぶような(この表現、何度使ったろうか)リズムがあって、それが時に暗転するというMozart 特有の、陰影に富んだ世界を楽しみました。

 Schumannのトリオは初耳だったかな?そう、ピアノ四/五重奏は以前から馴染んでいたはずだけれど、出会いが遅れちゃったな。これが素晴らしい〜変幻自在劇的なる第1楽章、躍動する第2楽章(心象風景がどんどん移り変わるような情熱的な旋律は、とても魅力的)、切々と切ない歌(抑え気味だったロストロポーヴィチがここぞ!とばかりに)が続く第3楽章、最終楽章は甘く、哀しい旋律が三人三様で語り継がれ、熱が高まって大団円を迎えました。

   ワタシはギレリスがうんとお気に入り!というわけではないれど、音の粒が硬質な豊かさに溢れ、重量感(鈍重に非ず!)と深みがあって、個性的だと思います。鋼鉄を柔らかいビロードで包んだような味わいか?コーガンもロストロポーヴィチも一流のソロとしてあまりに有名だけれど、お互いの息を感じあって、出過ぎることなく、繊細な味付けを細部に施します。どれも、文句なく充実した演奏だけれど、Schumannは浪漫派の旋律を表情豊かに表現してくださって、とくに楽しめました。(余談だけれど、ジャケットの禿頭の男はロストロポーヴィチではなくて、ロジェストヴェンスキーではないのかな? 2004年10月1日→違いました。やはりロストロポーヴィチでしたね。チェロ持っているし)


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written by wabisuke hayashi