Go'recki
交響曲第3番「悲歌の交響曲」 作品36(1976年)
第1楽章 「私の愛しい選ばれた息子よ、自分の傷を母と分かち合いたまえ・・・」(「聖十字架修道院の哀歌」という15世紀のポーランドの祈りの言葉より)
第2楽章 「お母さま、どうか泣かないでください・・・」(第二次世界大戦中、囚われの身となった18歳の女性が独房の壁に書いた祈りの言葉)
第3楽章 「私の愛しい息子はどこへ行ってしまったの?・・・」(オポーレ地方の方言を使った民謡、とのこと)
「三つの古風な小品」
ヴィト/ポーランド国立放送交響楽団/キラノヴィッツ(s)
NAXOS 8.550822 1993年録音 購入金額失念
ジンマンとアップショウのCDは流行りましたねぇ。もうブームは去ったかな?このCDを買ったときには「ちょっとねぇ・・・」なんつう感想を持っていたけれど、2003年も暮れ、精神的にぼろぼろに疲れ果て、音楽もまともに聴けないや〜そんな時に偶然に再聴したら、もうダメ。やられました。負けました。これは癒やしの鎮魂歌なんですね。
交響曲ったって、全三楽章すべてLENT(レント)〜静かで、スローで、単純な音型の繰り返し〜そりゃもう延々と。「悲歌」(なんて読むのか。”ひか”?そんな日本語あるのか)って誰が訳したか知らんが、透明なるソプラノは「聖母マリアの嘆き」みたいに聞こえます。「哀歌」のほうが相応しいかな。
深い泥沼の底から一条の光を求めて、少しずつ浮かび上がってくる冒頭。ほとんど聞こえない小さな音量のコントラバスの繰り返しは、深い眠りからじょじょに目覚めつつある世界か。瞑想であり、あらゆる怒り、哀しみを超越したような静謐なる響きの連続。そしてやがて登場する天上の歌声。第1楽章は27分。
しかし、長さを感じさせません。正直、ずっとこのままゆったりとした音の波に漂いたい気分。音は少しずつ姿を現すが、絶叫も主張も哀願も欲望もない。ひたすら安寧の深呼吸が辺りを支配して・・・これがあと二楽章分、延々と続くわけです。とても古い音楽のようでもあって、懐かしさに不足しません。(時にイギリス音楽風でもある)
広大なる砂漠に水がいつのまにか湧き出して、やがてすべてを潤していくような情景。軽率で短気、急いた焦りの連続である日常を諭されたようでもあり、ワタシは幸福と潤いにに充たされました。逆に、この曲によって深く落ち込む人がいるかも知れません。
キラノヴィッツのソプラノに、歌詞の意味は必要ないでしょう。個々の歌詞の意味合いなどほとんど意味をなさずに、ストレートに言語を越えた”意”が伝わりました。彼女の歌声、ヴィト指揮する弦楽は存分に美しいが、演奏云々するようなCDでもないでしょう。
「三つの古風な小品」も同様なるテイストをもった作品でした。(2003年1月30日)