エミール・ギレリス
(1984年瑞西ロカルノ聖フランチェスコ教会ライヴ)


ERMITAGE  ERM163-2
D.Scarlatti

ソナタ集 ニ短調K.141/ヘ長調K.518/ニ短調K.32/ヘ短調K.466/イ長調K.533/ロ短調K.27/ト長調K.125

Debussy

ピアノのために Prelude-Srabande-Toccata

Schumann

交響的練習曲 作品13

エミール・ギレリス(p)

ERMITAGE ERM163-2 1984年瑞西ロカルノ聖フランチェスコ教会ライヴ

 Emil Gilels(1916-1985旧ソヴィエット烏克蘭出身)晩年のライヴ。17年ぶりの拝聴となります。音質良好。落ち着いて、ていねいな仕上げが光る演奏が続きます。

 鋼鉄のピアニストとか、要らぬキャッチフレーズ印象が邪魔をして、じつは可憐な小品も似合います。(Grieg 抒情小曲集など)DG-LPオリジナルデザインDomenico Scarlatti(1685−1757ナポリ→マドリードにて没)の膨大なるソナタ集は可憐な珠玉の名曲揃い。始まりのニ短調ソナタから微妙な不安な哀愁漂う旋律は魅惑(4:38)ヘ長調ソナタは一転、晴れやかに軽妙な表情はタッチが歯切れ良いもの、っ途中ちょっとした暗い風情も見せました(5:00)ニ短調ソナタはしっとり静かな哀しみ(3:05)ヘ短調ソナタの詠嘆はほとんどバロックとは思えぬほど(5:02)

 イ長調ソナタは軽快に、一点の曇りもない晴れやかさ(3:04)ロ短調ソナタはゆったり、情感深い調べがほとんど浪漫(4:46)ラスト、ト長調ソナタは一気呵成に駆け抜けて笑顔に締めくくります。(2:29)D.Scarlattiのソナタはホロヴィッツによるとろとろの美音が抜き差しならぬ刷り込み、こちら清潔端正に描き込んだタッチ、別世界の魅力を伝えてくださいました。

 Debussyもなんとなくギレリスとは無縁な世界を連想させて、強靭なテクニックに支えられて変幻自在な妖しい世界が広がるよう。Preludeはダイナミックな迫力が華やかさを失わない。Srabandeは荘厳かつ静謐な深淵を連想させるもの。Toccataは急がぬテンポを採用して、前のめりに走らぬ表現は細部まで曖昧さがありません。表情の変化は大きなドラマを感じさせるもの。タッチはたしかに硬質だけど、それは柔軟さと深みを兼ね備えたものでしょう。(4:08-5:16-4:23拍手込み)

 Schumannは嬰ハ短調の荘厳な主題(C#-G#-E-C#/1:43。ここから既に絶品)が12回変奏される名曲。その風情のままリズムやら旋律が変遷して延々と哀しみが続きます。第3変奏曲の流れるようなアルペジオ最高!続く第4変奏曲にはそこに符点のリズムが力強く、第5変奏にはさらに暗い躍動が加わる・・・そんな連続に刻々と変わる表情が旋律、そして強靭なタッチも響きは濁らない。第7変奏は(ド・シロウト耳にも)かなりの技巧が要求されそう。第8変奏のリズムはバロック風でもあり、第9-10変奏はまたまた困難そうなフレージングが登場。ちょっぴり躊躇いがちな第11変奏を経、ラスト堂々たるスケールのAllegro Brillanteに締めくくりました。息もつかせぬ魅惑の旋律連続!ギレリスの集中力、美しいタッチに三十数分はあっと云う間に過ぎ去りました。(1:08-4:02-1:17-0:42-1:19-0:58-1:17-0:42-1:19-0:58-1:17-2:26-0:38-1:20-3:09-6:49ラスト拍手含む)

(2022年6月18日)

 これはまだ円高で、個人輸入がびっくりするほどお得だった時代の入手CDでしょう。以下の旧文書には日付がないから、20世紀中サイト開始直後のものと類推されます。ギレリスには「鋼鉄の打鍵」などという強靱硬質なるイメージが存在する(実際そういう録音もあるかもね)が、ここでは晩年の深く、幅広く、重心は低く、柔らかく抑制されたタッチでありながら”芯”をしっかり感じさせる、むしろ内省的なスタイルが魅力です。

 しかも、ありがたいことにワタシ好みの作品収録がずらり。テクニックの衰えは微塵も感じさせない(かな?「交響的練習曲」第3変奏曲「ヴィヴァーチェ」辺りは少々苦しいか)。

 「↓録音の関係で強奏がやや濁る」とは、かつての自分の言い分だけれど、数年ぶりに再聴すればそんなことはない。ピアノの自然な存在感と、けっしてヒステリックに響かない、落ち着いた味わいです。Scarlattiは「バロックとは思わせないロマンティックなテイスト」・・・そうですね。大河の流れのように淡々粛々として端正なスタイルは崩さないが、揺れ動くような情感が溢れました。(テンポが揺れたり、タメがあったりするワケではない)急がない、軽率ではない、そして鈍重では(もちろん)ない。

 Debussyだったら、もっと繊細神経質で、儚(はかな)げな表現が好まれるでしょうか。これはもっと漆黒に艶めいて、落ち着きある大人の演奏であります。仕上げが雑だったり、デリカシーに欠けるワケでもない。やや遅めのテンポは盤石であって、軽快流麗ではない。「トッカータ」はもっと快速で、熱気が充満していた作品の印象があるが、ここではしっかりとした歩みと、噛み締めるような味わいを堪能できます。

 Schumannの「交響的練習曲」って、こんな哀切の世界でしたっけ?このCDどこでもいっしょだけれど、華やかではないんです。勢いで流すことなどあり得ない。歩みは着実であって、迷いがない。表現の基本は「淡々粛々端正重心太芯」だろうが、作品の個性かな?ココロをざわめかせるような悲劇が感じられました。表情は常に抑制されているが、情感は豊かであります。

 万感迫る「フィナーレ」の晴れやかさ。(↓「カレーの宣伝に使われて」というのは「謝肉祭」の誤りではないか?中村紘子さんの出ていた)「演奏会のライヴ」としての存在感貴重な、繰り返し聴き、座右に於いて然るべき魅力ある一枚。

(2005年11年25日)


 この録音は、かつてFMで放送されエア・チェックして気に入っていたもの。(カセットもいまだに所有)その重心の低い(重苦しい・・・といった意ではなく)ピアノの響きに魅了されます。晩年の演奏ながら、技術的な衰えは見られません。録音状態もきわめて良好。

 まず、ワタシいつもお気に入りのスカルラッティ。ギレリスは得意にしていたみたいで、ほかにも数種類の録音が残っています。長調3曲短調4曲の選曲ですが、聴いた印象は「短調ばっかり」。なんか、音色がもの悲しいんですよ。

 かつて「鋼鉄のピアニスト」(当時、鉄工業が日本の花形産業であった)と形容されたように、強靱なタッチではありますが、硬質で透明な響きに、年齢的な暖かさも加わって、なんとも云えない奥行きのある音色。良い意味で音に重さと暗さがあり、深さも有。録音の関係で強奏がやや濁るものの、どの曲も哀愁漂って、バロックとは思わせないロマンティックなテイスト。

 ドビュッシーは、彼のピアノ曲の中でもっとも好きな曲のひとつ。
 ギレリスとドビュッシーというと違和感がありそうですが、この音色には説得力充分。「ドビュッシーはほんわかとして・・・・」なんて、思っていると大間違いで、堂々たる自信に満ちあふれた骨太さ。それでいて繊細さも失わず、トッカータにおける遅めのテンポ、コクのある響きの見事なこと。

 シューマンは、かつてフィナーレがカレーの宣伝に使われて一気に有名になった曲。スケールが大きくて、線が太く、圧倒されます。シューマン特有の、気紛れで甘い旋律は万全に表現されます。

 1960年前後のライヴ録音を聴くと、この人はもっと「叩き付けるような」打鍵だったと思うのです。ここでのピアノは、力はあるがもっと自然体で貫禄も有。重鈍ではないが、腹に響くような美しさ。

 晩年、DGに録音したブラームスとかグリーグ、ベートーヴェンは聴く機会を持っていません。ワタシも年齢を重ねてきたせいか、ギレリスのほの暗く重い音色も悪くないな、と思うようになってきました。


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written by wabisuke hayashi