Bruckner 交響曲第5番 変ロ長調
(ウィルヘルム・フルトヴェングラー/ウィーン・フィル1951年ライヴ)


VIRTUOSO 2697342→処分済 Bruckner

交響曲第5番 変ロ長調(ハース版)

ウィルヘルム・フルトヴェングラー/ウィーン・フィルハモニー

VIRTUOSO 2697342  1951年8月19日ザルツブルク音楽祭ライヴ  (おそらく)1,000円で購入→既に処分済
ネットにてパブリック・ドメイン音源入手可

 前回聴取より10年経過。CD価格云々はほとんど笑い話の世界に。後期浪漫派近代オーケストレーション華やかなる大規模作品には、良好なる音質が必須でしょう。この歴史的録音は1990年代初頭に入手したものだと思うが、かなり以前に処分済。Mahler なら多種多彩に全集含め聴いてきた自覚あるが、Brucknerは何故かここ数年敬遠気味であります。大好きなんですけどね。久々に音源入手できて再聴、10年前の印象とほとんど変わらぬことに驚きました。進歩も成長も(退化も?)ないのか、ワシは。

 茫洋としたスケール、委細こだわらず大河のようにゆったりと流れに身を委ねる・・・的演奏が評価高いらしい。ワタシはジョージ・セルの第8番ハ短調(1969年)も大好きで、それは徹底的に細部味付けされ、管理された集中力演奏でした。このフルトヴェングラーのライヴはその方向性に似ていると思います。(結果できあがった個性は別モンとして)音質は良心的な方だけれど、そんな条件乗り越えて指揮者の個性は明確に伝わる驚き。冒頭、ものものしい弦のピツィカートから金管の爆発に至ってモウレツなるテンポアップ、時に入念なる描き込みからテンポを落とし、魔法のようにもとの流れに戻る・・・凡百なる指揮者であれば、作品の流れは崩壊していた可能性が高い。あらゆるフレーズに指揮者の明確な刻印を狙う演奏也。

 第2楽章「アダージョ」。通常の交響曲に存在する緩叙楽章〜静謐であり、安寧であり、粛々と進む音楽〜ではない、旋律はふくらみ、情感に揺れ動き、情熱的に絶叫し、劇的な成果を上げて切迫感が凄い。疾走し、突然止まり、長い間のあとに抜けたような囁き、そして雄弁かつゆったりな旋律節回しが繰り返されます。魔法のような呼吸、エピソード多彩なるドラマを見ているような感慨有。第3楽章「スケルツォ」のノリノリのリズム感の良さ、合間にレントラーがのんびり(唐突に)挟まり、ものものしい雰囲気の疾走へと戻ります。その弱音対比の上手さ、切迫感の表出の上手さ。

 終楽章「アダージョ-アレグロ・モデラート」〜冒頭の深刻なピツィカートが再現され、第2楽章の主題も回帰、堂々たる歩みのフーガへと至ります。次々とテイストの違う素材を自在に操って、流れを作っていくフルトヴェングラーの魔術。ある時は纏綿と陶酔的に優しく、ある時は決然とオーケストラを叱責し、その変幻自在ぶり、オーケストラの統率力と緊張感に比類はない。激情に走って突然のテンポアップに落ち着きがない(とくにラスト辺り)とか、悠然としたテンポダウンがわざとらしい、そう感じ取られる方はいらっしゃることでしょう。現在ならもっとモダーンで、かっちりとした構成とバランスを誇る演奏が多数存在します。

 太古録音を好んで聴こうとは思わぬし、ワタシはフルトヴェングラーを常時称揚する立場ではありません。交響曲第5番 変ロ長調という作品を聴くより、指揮者の個性体臭が前面に出た希有なる演奏芸術でしょう。ラスト、コラール風旋律が二重フーガを形成して圧巻の山場を形成して、アツいアツい熱狂的演奏でありました。若い頃に身についた嗜好は一生モンかな?

(2010年7月16日)
  

 VIRTUOSOの歴史的録音は、1990年前後にたくさん出回っていました。いまでもときどき売れ残りを目撃しますが、相場は@500以下でしょうね。このCD、ワタシが本格的にBrucknerにのめり込むキッカケとなったもの。1,000円が高いか、安いかという問題では語れない価値ある一枚。(でも、いま思うと高い)

 フルトヴェングラーのBruckner演奏の評価は割れていて、どちらかというと王道ではない感じ。クナッパーツブッシュやヴァント、朝比奈があれほど騒がれているのに、意外と話題に上りません。ワタシ、この第5番は最高だと思うのです。音のひとつひとつに魂がこもったように熱い。テンポが自在に揺れて、猛烈に個性的だけれど説得力充分。

 「Brucknerは飾らないほうがよい」といった印象はありますね。じっくりと、ゆっくり目のテンポで、呼吸を深く、自然体で、オーケストラの余裕ある響きを生かした演奏で。この録音、フルトヴェングラーの個性横溢で、「作品より演奏家の個性を聴くべき演奏」なんていう評論が時々あるでしょう?そんな感じ。

 それに録音は新しいほうがいい。とくに、Brucknerはそう思うんです。オーケストラのそのものの、シンプルな和音(特に金管)を楽しむような曲が多いから、奥行きと適度な残響があって、「間」にはじゅうぶんな静謐さも欲しい。で、この1951年のライヴは、フルトヴェングラーの一連のライヴの中では良心的だけれど、どう考えたって十全な音の状態とは言い難いのは当たり前。

 このCDの前には、LPでクナッパーツブッシュ/ウィーン・フィルの有名なステレオ録音しか聴いたことがありませんでした。(これもなかなか凄い迫力とスケール)フルトヴェングラー盤は、わかりやすい演奏なんです。70分、あっと言う間に過ぎます。この間聴く機会の多い、トスカニーニのテンションの高さとは意味が違うが、どの部分をとっても「ワタシはこういった感情を、この音で表現したい」というのが、手に取るようにわかりやすい。

 クナの威圧感は相当なものでしたが、ここではBrucknerは親しげなんです。「落ち着きが足りない」と言う方もいるでしょう。ワタシにとっては「ノリのよさ」に思える。スケルツォの熱狂ぶり、フィナーレの猛烈なアッチェランド(早すぎる)を嫌う方もいるはず。瞑想的なアダージョや、冒頭の低弦ピツィカートにおけるウィーン・フィルの美しさは、音の状態を越えてしっかりと伝わってくる。

 一つひとつの楽章ではなくて、全4楽章でみごとな主張となっていて、グイグイ引き込まれるように全曲が終了します。この「熱」は、もう現在では消えてしまったもの。日常いつも聴くような音楽ではないかも知れませんが、興奮しました。(2000年11月17日更新)


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written by wabisuke hayashi