Mussorgsky 「展覧会の絵」(リヒテル・イン・ソフィア 1958)Mussorgsky 組曲「展覧会の絵」 Rachmaninov 前奏曲 嬰ト短調 作品32の12 Schubert
楽興の時 ハ長調 作品94の1 D.780 Chopin 練習曲 ホ長調 作品10の3「別れの曲」 Liszt
忘れられたワルツ 第1番 嬰ヘ長調 スヴャトスラフ・リヒテル(p) 1958年2月25日 ブルガリア・ソフィア・ライヴ PHILIPS PHCP-9597 中古680円にて購入 これはおそらくリヒテルが有名になった記念碑的録音であって、全曲かどうかはわからないが、演奏会当日の様子を伝える貴重な録音と思われます。この「展覧会の絵」は評価高いもので、LP時代からお気に入りでした。1997年に出されたこのCDは収録の多彩さ、価格(定価1,200円)と併せて、決定版と評してよろしいでしょう。録音的には必ずしも万全のものではないけれど、それを完全に忘れさせる魔力を持った一枚。 ほんのこども時代からリヒテルに馴染んできました。(あくまでレコードの友、だけど)こうして、なんども聴いたはずの「展覧会の絵」をあらためて確認すると、技巧の冴えがまったく素晴らしい。強靱な鋼(はがね)のような打鍵。深く鈍く底光りする音色。しかし、「ああ、リヒテルって凄い技巧だな」なんて考えたことは一度もないんです。ピアノとはこんなもの、「展覧会の絵」はこれが当たり前〜もうちょっと良い音にならないの?なんて・・・(↓下に書いた以前の文書参照) 以前に書いた通り、最初に聴いたのはLP裏表でハイティンク/コンセルトヘボウ管(嗚呼、今となればまた聴いてみたい)+リヒテル〜これは印象がまったく、というか、別の曲に思えたものです。切迫感、緊張感、熱気、そして色彩〜それは管弦楽が、様々な楽器の色を出すという意味ではなくて、ピアノが叩き出す多彩なるタッチの変化のことであって、ピアノ版(=原典版)「展覧会の絵」はこんなものが当たり前なんだ、なんかとてつもないものなのだ、という前提となっておりました。 この追いつめられたような迫力は一気呵成のものでして、勢い余った些細なるミスタッチさえドキドキさせる臨場感有。速めのテンポ、大見得を切るようなルバートやら大仰なる表現は皆無であって、ひとつひとつの旋律、音に入魂の熱=アウラがハジけ飛びました。この人はピアノをカラダで弾くんです。叩き付ける、と言っても過言ではない。でもそれは粗暴という意味はなく、響きは無用に濁らず、そして尋常ならざる衝撃を発します。 「死せる言葉による死者への話しかけ」に於ける弱音の神経質なこと、続く「バーバ・ヤガの小屋」(バーバとは婆のことらしいが万国共通語なのか?)の強靱で硬質なる打鍵の狂乱。ラスト「キーウの大門」で、ひとつひとつの和音に間(ま)が空くでしょ?残響でそれはつながっているんだけれど、その緊張感、集中力、ノリが壮絶。あまりの印象深さに、そうそう気楽に日常聴けるものではない・・・(拍手も盛大)
ありがたいことにCD時代には、この演奏会の残り一枚に収録して下さいました。Rachmaninov はわずか2分ほどの短い情念の燃焼。Schubert +Chopin は、作品的に異質のように思えるが、じつは良い具合にカタのチカラが抜けて、良く歌う演奏なんです。変ホ長調即興曲には流麗なる技巧が必要だけれど、目隠しで「リヒテルである」と指摘できるかたは少ないことでしょう。(後半の強靱さで気付くかな?)さすがのリヒテルもここでは打鍵を叩き付けず、暖かい充実した音色で聴かせます。燃えるようなラスト。 変イ長調即興曲の揺れるような心象風景の切なさ。「別れの曲」は情感豊かなこと。Lisztはリヒテルの重要なるレパートリーだけれど、自信に充ち、流麗方向ではない、細部まできっちり表現してくださって、Lisztが時に見せる「美しい旋律」を強調した演奏に仕上がっております。なんとなく儚(はかな)げで、短い作品が終わっていくのが惜しいくらい。「技巧のための技巧」ではない、可憐と評しても良いほどの味わい。 ・・・それにしても超絶技巧練習曲は圧倒的。「リヒテルは凄い技巧の持ち主である」ということは自明の理だけれど、「それを売り物にしている」こととは別世界なんです。ワタシはLisztの旋律とピアニズムの美点を(この演奏で)感じたものです。 ・・・ちなみに以下「エア・チェック」のところにかつて掲載したように、ワタシはLP売却以来、この音源は保存用のテープでしか聴いておりませんでした。いつかは正規音源で手に入れたい、できればいつものように出来るだけ安く、と思いつつ10年ほど経過。2001年のある日、出張先の広島での時間つぶし中、古本屋さんで発見したCDです。願いはいつか叶う。思いはいつか通ず。 (2004年9月17日 以下は1999年頃?の文書)
展覧会の絵リヒテルのLPの思い出話ムソルグスキー 組曲「展覧会の絵」 リヒテル(p) 1958年ソフィア・ライヴ 「展覧会の絵」はお好きですか。 私がおそらく最初に聴いたレコードは、中学の音楽室にあったカラヤン/ベルリン・フィルの旧録音。ムソルグスキーの原曲を聴いたのはずっとあとで、この演奏とハイティンクの演奏を両面に収録したfontanaの1,000円盤でした。(いま思えばハイティンクの演奏も貴重) 当時は「ふ〜ん」てなくらいの感想でしたね。なにも旧いモノラル録音で聴かなくてもいいよな、と考えて、ロシアのピアニストばかり集めた10枚組を買ったとき(たしか5,000円だった)、アレクサンドル・スボロジャニク(記憶うろ覚え)によるステレオ録音が手に入ったので、リヒテルのはさっさと売り払ってしまったのです。
で、スボロジャニク(?→違いました。スロボジャニクが正解)の演奏を聴いて、そのときリヒテルの凄さがわかりました。叩き付けるような「身体で弾く」ピアノ。「大叩きする」馬鹿なピアノじゃないですよ。硬質でテンションの高い響き。速いテンポで、聴衆を釘付けにする集中力。
それ以来「展覧会の絵はピアノに限る」と開眼。深く反省して、またリヒテルのLPを買いました。
CDではヤンドーを買いました。(NAXOS 8.550044)最近はどんな演奏にもかなり寛容なので、手堅くて悪くない演奏と思いましたよ。FMでマガロフのライヴ(暖かくて懐が深い)を録音。
オーケストラ版では、ライナーのオーケストレーションの多彩さを実感させるすばらしい演奏に出会いました。クーベリックの若いころの鋭い演奏も堪能。FMでは、1988年のチェリビダッケの遅いテンポによる尋常ならざるライヴにも感動。(この演奏がCD化されたのかな、海賊盤?)。
・・・・・・・というように、いろいろ探してみると持っているもんですね。 リヒテルの演奏そのものではなくて、それにまつわる思い出ばかりのお話でした。いまでもピアノ版、それもリヒテルのが一番と思っています
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