Bruckner 交響曲第8番ハ短調
(クナッパーツブッシュ/ベルリン・フィル1951年)
Bruckner
交響曲第8番ハ短調
クナッパーツブッシュ/ベルリン・フィルハーモニー
aura AUR255 1951年1月8日ベルリン・ティタニア・パラスト・ライヴ 690円
ワタシはあまり世評とか知らないほうだし、往年の巨匠達への畏敬の念はあるけど、意識して様々音源を収集することもないんです。この作品は、ミュンヘン・フィルとの録音(1963年)が有名で、ワタシもLP以来の再会き合いだけれど、まだ真正面から向き合ったことがない。(正直、その良さが未だ理解できない)「オーベルライトナー改訂版」使用とのことだけれど、なんのとこやらさっぱり・・・?状態で、どれも楽しんで拝聴させていただく、という姿勢でございます。このCDも「安く見掛けたから」「一枚に収まってるから」購入した、というのが正直なところ。音質は意外と分離がよく、(想像したより、ずっと)聴きやすいもの。ちょっと響きが薄い(低音も軽い。しかしオーケストラが豊かな低音を誇ることがは理解可能)けれど。
ミュンヘン・フィル盤(84分)に対してこちら(78分)、速い遅いという単純な問題ではないが、オーケストラの音色(個性)の違い、スタジオとライヴの違い、12年という年月の違い(指揮者の体力が落ちているだろうこと)が楽しめる、ということでしょう。(ちなみに1955年バイエルン州立管とのライヴは更に速く70:14。ライブでは一般にテンポ速めで、ミュヘン・フィル盤のみ遅かったのか)クナッパーツブッシュは練習嫌いだったそうだし、もちろんアンサンブル細部を整えようと気は、もとよりなかったはず。だからテクニック的に優秀なオーケストラというのは、良い条件であったと思われます。
これは録音のイメージかも知れないが、”さらさら流れるよう”に聞こえます。1951年は(もちろん)フルトヴェングラー時代のオーケストラ(=カラヤン完全排除)であって、後年の甘さや艶は存在しません。響きに芯があるし、一種圧倒的な厚みと洗練があって、それは辛口に響きました。先入観としてミュヘン・フィル盤が脳裏にあるせいか、異様に巨大な存在感とか、異形に素朴過ぎる語り口ではなく、もっとスムースな進行と整った美しさを素直に感じ取ることができました。
第1楽章から、「これから不吉な何かが始まるぞ!」的威圧感ではなく、もっとストレートな(彼としては)淡々とした、細部描き込んだ表現の連続。とは言ってもそこはクナッパーツブッシュ、持って回った小賢しい虚飾などあろうはずもなく、大きな流れを重視したものに間違いありません。全体としてお気に入りの作品だけれど、ワタシは第3楽章「アダージョ」の延々といつ終わるとも知れぬ詠嘆が大好きで、ここでの説得力(ある意味”自然体”なのでしょう)、弦、ホルンの美しさは特筆すべき水準であります。
Brucknerのキモである第2楽章スケルツォ、過酷な運命に真正面からぶつかって勝利する最終楽章の激しいリズム。アンサンブルのズレなどものともせず、気持ちよくオーケストラは鳴っております。やや抑制されたような印象があって、オーケストラが極限大爆発していない(余裕が感じられる)のは録音問題でしょうか。それとも、クナッパーツブッシュの個性前面ではなく、ベルリン・フィルという異能集団にかなり任せた結果なのか。
最終楽章のアッチェランド/テンポの揺れはいつになくアツいものだし、旋律のエグりは強烈。焦点はここだったのでしょう。弱音部分は余裕があって美しく、ちゃんと細部まで理解できます。現役優秀録音がたくさん出ている名曲だから、ムリして聴くようなものではないかも知れないが、全曲ずいぶん聴き通すことが苦にならない、楽しめる演奏でした。個性的であり、そして美しい。それは押しつけがましい、ムリムリな個性ではない。
ワタシがコメントできるのはこの程度なもんでした。たくさん各種復刻CDが出ていて、微妙に(あるいは大幅に)音質やら印象が異なるらしいが、この一枚でも充分楽しめました。
(2005年5月19日)
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