Bruckner 交響曲第6番イ長調
(ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団)


Bruckner 交響曲第6番イ長調 (ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団)
Bruckner

交響曲第6番イ長調

ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団

ODE CLASSICS  1972年録音  ODCL1017 420円(中古)にて購入

 昨今話題の「爆演系」に入るのだろうが、少々違うような気もする演奏。緊張感溢れる静謐と、時に鋭角に爆発する金管の極端なる対比が、「狂気のケーゲル」などという紋切り型評価コメントで一部ファンを喜ばせるのだろうが、もっとダイナミックな音楽のメリハリを感じさせて、これは一聴に値する一枚でした。1972年12月12日コングレス・ホールでのライヴは、かなり聴きやすい音質(ステレオ)でした。

 そもそも初期の作品を除けば、いまいち人気のない作品でして、ワタシも「旋律は知っているけれど〜」程度の認識ながら、この度F.Ch.アドラー/ウィーン響盤(1952年。唯一の初演稿録音らしい)を聴いていて、ああ第2楽章「アダージョ」が美しいな、と気付いたところ〜その関連でケーゲル盤を取り出したら、いやもうその説得力にすっかり驚くばかり。この”怒り”はなんだろう。いままでワタシが求めてきたBrucknerとはどこが違うんだろう・・・

 「中低音に厚みのある、奥行きと余裕あるオケによる無為の為」〜ま、コンセルトヘボウとかドレスデン辺りが念頭にあるのかな?ライプツィヒ放響がそれに当てはまっているか?と訊かれれば、少々(かなり)違うかもと答えざるを得ません。そもそも「無為の為」とは縁遠くて、最初から最後までケーゲルの主張バリバリの「思いを叩き付けたような」ド迫力連続ワザ。第6番って、こんな凄い激作品だったのか、と気付かせて下さる個性的な演奏なんです。

 細かいフレージングが入念!というと細部ていねいなるアンサンブルの仕上げか、と勘違いされそうだけれど、怒りの刻印が入念なんです。テンポはやや遅めで、そのテンポは極端には動かない。急いたところは存在しないが、淡々としたイン・テンポかと思ったら大間違い!音量の強弱やら、旋律の冷酷なる煽りは頻発していて、見事に「不安の時代のBruckner」に仕上げます。呼吸は存分に深く、スケールに不足はない。重量感もあります。

 金管があちこち爆発します。その爆発の種類が露西亜爆演系とはかなり異なるんです。ワタシはスヴェトラーノフはほとんど聴いたことはないが、ロジェストヴェンスキーのSibelius に於ける金管の遠慮会釈ない咆哮は、もっと生理的なもの、ある意味ノーテンキさを感じさせたものです。ここでは第1楽章冒頭から荒々しい金管は悲劇的に絶叫して、静かな木管も弦(硬質な音色だ)も泣いているように聞こえましたね。

 やはり白眉は第2楽章でしょうか。正直、深みとか奥行きとか、痺れるような鈍い輝きとか、そんな響きは求められないオケだと思います。しかし、全編に”泣き”が蔓延!それはバルビローリのような”甘美な涙”じゃなくて、もっと非情なる悲劇でして、観客はその運命を甘受せざるを得ない、ある意味どうしようもない、絶望的な美しさに充ちておりました。そして、時にすべてを押し潰してしまう冷酷な金管の爆発がやってくる・・・

 Brucknerのキモは「スケルツォ」なんです。ここは期待通りのメリハリの付いたリズム感スピード感、不気味な(やはり圧倒的)金管絶叫が楽しめます。低弦のピツィカートは、まるで運命の時が迫りつつある足音に聞こえます。終楽章はけっこう走りますよね。テンポの揺れもタメもあるが、妙な重さと勢いがあって、どちらかというと明るい曲相のはずなのに、いつまでも”怒り”の表情は収まらない・・・といったヤケクソ圧倒的ラッシュで終了しました。

 やや間(ま)が空いて拍手・・・日常座右におくべきもの〜ではないと思うが、Bruckner 交響曲第6番印象一変!保証間違いなしの凄い演奏(爆演とは呼びたくない)でした。 (2004年9月24日)


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written by wabisuke hayashi