Berg 管弦楽のための3つの小品(若杉/都響)


Berg

管弦楽のための3つの小品 作品6

若杉/東京都交響楽団(1988年10月22日サントリー・ホール・ライヴ〜FM放送からカセット→MDへ)

Ravel

歌曲集「シェラザード」

ZEMLINSKY

「6つの歌」作品13

オッター(ms)/サロネン/スウェーデン放送交響楽団(1993年6月5日ベルヴァルド・ホール・ライヴ〜FM放送からDAT→MDへ)

Chopin

アンダンテ・スピアナートと華麗なるポロネーズ

ルービンシュタイン(p)/ウォーレンシュタイン/シンフォニー・オブ・ジ・エア(FM放送エア・チェック・カセット〜MDへ)

 ワタシがコンピレーションもののCDをそう嫌いじゃないのは、10数年間続けたエア・チェックのせいかも知れません。カセットの余白は無駄なく埋めること、当然楽曲より時間優先で、結果無定見な選曲ではあるが、未知の素敵な楽曲を知る契機となりました。今回のMD化も、若杉/都響のMAHLLER5番がちょうどMD一枚に収まって、残ったBergをどうしようかと考えた挙げ句の選曲です。

 サロネン/スウェーデン放響のRavel 、ZEMLINSKY、Bergが理論上MDの収録余白にピッタリだったんです。オッターの知的で、細部まで思いっきり繊細な歌声に痺れたら、当日の聴衆も同じ考えだったようで、拍手が盛大で長い。ZEMLINSKYまで収録すると、Berg(若杉と同じ作品6)を収録するのに2分足りない。(別のMDに収録)

 で、エア・チェック・カセットのダンボール箱(ちゃんと棚に整理していないのが情けない)をひっくり返していると、ルービンシュタインの「アンダンテ・スピアナート」が出てきました。これはCDで所有しているのとは別録音で、管弦楽のバックが付いている版。


 まず若杉のBerg。この曲わりと知っているのですが、CDを持っていないことに気付きました。ま、新ウィーン楽派の中では定番中の定番というか、古典的名作。わずか20分の作品だけれど、馬鹿馬鹿しく巨大で、熱狂的にシニカル、虚無的でありながら暴力的な狂気を感じさせます。ワタシはMahler の6番を聴くと、いつもこの曲を連想します。Mahler を突き詰めて(甘さや余裕をそぎ落として)いくと、この曲に立ち至る印象。

 「現代音楽の古典」と呼ばれる「春の祭典」は、不協和音と変拍子、金管と打楽器のパワフルな絶叫が連続するが、人間の根元的な生命力と喜びを感じさせました。Bergになると、例えば幼児虐待、長期監禁、陰湿ないじめによる自殺、相手かまわない衝動的殺人、など変質的な事件が連続する不安をそのまま表現しているよう。聴いててツラい音楽だけれど、胸に突き刺さるような、ある意味深い感動があって、逃げられないんです。

 この曲は、重い打楽器、金管の暴力的な絶叫が不可欠。若杉/都響は、余力を充分に残してスケールも大きく、わかりやすい(?)演奏でした。「前奏曲」「輪舞」「行進曲」からなっていて、ラスト辺りの金管(ホルン?)による突き刺さるような「運命の動機」は何時聴いても衝撃的。(どこが行進曲やねん?)


 Ravel の歌曲集「シェヘラザード」は、これもCDでは持っていない(はず)。オッターの歌は先に書いた通りの絶品だけれど、なによりこんな美しくも幻想的な旋律は、久しく聴いていなかったような気がします。陶酔。ZEMLINSKYの作品も「難解」という先入観は払拭されてしまうような、エキゾチックで爛熟した浪漫派の残り香が漂いました。


 なんの脈絡もなくChopin へ。しかも、これエア・チェックに失敗していて冒頭が数秒切れていました。(残念)管弦楽なしの録音が1964年、これルービンシュタインの魅力横溢というか、しっとりとして、微妙にテンポが揺れて、これほどセクシーな演奏は存在しない!と、力説したくなるような演奏なんです。この管弦楽付き版は、1958年録音でもう少し若く元気がある感じ。

 バックのオーケストラは奥行きも潤いもなく、伴奏の域を出ません。ルービンシュタインのピアノは、後の録音よりもっと動的というか、溌剌として健康的。ま、はっきり言って管弦楽は蛇足で、彼の表現力ならピアノだけですべての世界が表現されているんです。(2001年7月6日)


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written by wabisuke hayashi