Beethoven 交響曲第9番イ短調「合唱付き」
(クルト・ザンデルリンク/フィルハーモニア管弦楽団/合唱団)


これはQIAG-50073 Beethoven

交響曲第9番イ短調「合唱付き」

クルト・ザンデルリンク/フィルハーモニア管弦楽団/合唱団/シーラ・アームストロング(s)/リンダ・フィニー(a)/ロバート・ティアー(t)/ジョン・トムリンソン(b)

D CLASSICS HR704632 1981年EMI録音(写真はQIAG-50073)

 例の如し22年前の恥ずかしい記録が残って、それ以来の再聴となります。曰く

 第9番は説得力がいまひとつ弱い。終始、中低音が弱く腰が据わらない。テンポは中庸だけれど、フィルハーモニア管の鳴りが充分ではない。

 数々の美しい部分がありますが、重いリズムを要求する指揮者とオーケストラの信頼関係がいまひとつのようです。3楽章はもっとも期待したところですが、録音の薄さが弱点でしょう。集中力が続かず盛り上がらない。最終楽章も合唱を伴う圧倒的な推進力は感じられません。

 この演奏に「熱狂」を期待していけないのです。

 「結論」 長らくおクラ入りしていた理由がわかるような、地味な演奏でしょう。録音も悪い。きっとライヴで集中して聴けば感動はもっと大きいはずです。聴きはじめはやや後悔しましたが、やがて一癖ある個性的で聴き応えのある演奏と納得できました。

 当時、デイヴィッド・ジンマンの新しい録音に感動していた頃、やがて古楽器の軽快溌剌なリズムサウンドの洗礼を受けて、父ザンデルリンク全集ボックスは処分してしまいました。かつてはどこにでも安く売っていた全集は、やがて幻の存在となってようやく再聴の機会を得たもの。Kurt Sandeling(1912-2011独逸)もとうに亡くなって息子たちの世代へ、ミヒャエル・ザンデルリンク(1967ー)はドレスデン・フィルとの全集録音を果たしました(しかもShostakovichと抱合せ)。偉大なる親父を抱えた二代目は苦労しまっせ。

 たしか史上初のディジタル録音全集?EMIはその扱いに慣れていなかったのでしょう。40年前ですし。伺った話によると篤志家による希望(スポンサーか)で録音に至ったとこと、EMIのスタッフによる録音に間違いないけれど、版権にはオトナの事情があったのかも。久々の拝聴印象はやや埃っぽいけれど会場空気奥行きを感じさせて、音像は遠いけれどまずまずの解像度。但し、低音とかサウンドの芯が弱い。旧東独逸系の録音で聴くザンデルリンクってもっと重厚、重心の低い印象でした。演奏は適正なテンポにオーソドックス、立派なものと受け取りました。フィルハーモニア管弦楽団はリッカルド・ムーティ時代かな?

 第1楽章「Allegro ma non troppo, un poco maestoso」。宇宙の果てから得体のしれぬ神秘なものが降って・・・やがて混沌の中から確固たる第1主題が出現する!カッコよい楽章。ホルンの持続音に弦が絡み、木管が呼応してティンパニが激しくアクセントを付けます。第2主題は優しく、終楽章主題を連想させるもの。各パートどれも爽やかに美しく(とくに木管)テンポ設定も過不足なくオーソドックス、イン・テンポを基調にゴツゴツ力感に充ちても、サウンドの線が細く感じられるのは音質のせいでしょう。緊張感継続、劇的なクライマックスに、かつてほどの違和感はありません。(17:24)

 第2楽章「Molto vivace ー Presto - Molto vivace - Presto」。革新的なスケルツォ楽章。序奏の力強い下降旋律がティンパニに受け継がれる衝撃、この後もティンパニは大活躍して要所要所ド迫力な楔を打ち込みます(通称ティンパニ協奏曲)。英DECCAだったらそれをクリアに突出させた音録りをするところ。主部に入ると力強い足取りは圧巻の貫禄(繰り返しなし)第2主題は明朗な躍動に充ちて、ここも木管の美しさが際立つところ。ここ迄集中して聴いたら、音質云々の件はほぼ忘れました。中低音の厚みは期待したいところだけれど。(10:37)

 第3楽章「Adagio molto e cantabile - Andante moderato - Tempo I - Andante moderato - Tempo I - Stesso tempo」この楽章の主役はホルン、じつは第1楽章、第2楽章ともその存在は既に顕著でした。ファゴット先頭に木管の短い序奏を経て、弦が静かに瞑想的なシンプル主題を歌って、それが変幻自在に変奏される美しくも雄大な緩徐楽章。Beeやんの最高傑作のひとつでしょう。清潔な弦に絡む例の木管はもちろん、やがてホルンがその存在を主張する・・・22年前の自分は”集中力が続かず盛り上がらない”と、それは聴手の責任なのでしょう。慌てず騒がず、粛々とした歩みは過不足なくオーソドックス、古楽器系演奏に慣れた耳にはもっとヴィヴィッドなリズム感を!求めたいところ。弱音はデリケートでも、音量の大きな場面での音の厚みはもっと欲しいところでしょう。(17:22)

 第4楽章「Presto - Allegro assai …」。この楽章はBeeやん一番人気だけど、どーも付け足しっぽくて前楽章との違和感有、独立して聴けば良いのだけどね。アタッカで前楽章とつなぐのは効果的だけど、楽曲分析的には必ずしも正しくないとのこと(Wikiより)。実演の方に伺ったことがあるけれど、音域にもちょいとムリがあるそう。管楽器の不協和音がカッコ良い出足、低弦の詠嘆がそれを受け止めるのも劇的、第1楽章第2楽章第3楽章の主題がちょろりと顔を出すのはムリムリな感じ。「歓喜に寄す」主題が静かに始まって金管に爆発させる経緯、持っていき方のみごとなこと!かつて”合唱を伴う圧倒的な推進力は感じられません”と手厳しい言い種も虚しく、フィルハーモニア合唱団も明晰な清潔感があって上手い。英国勢を揃えた声楽ソロも独墺系濃い表情とはちがって、清廉な風情有。

 合唱を伴う大規模作品の録音は難しいそうですね。かつて自分の脳裏にはフルトヴェングラーの熱狂があったのか、着実な足取りのザンデルリンクに不満があったみたい。どことなく余所余所しい風情の音質に集中できなかったのか、音質故のオーケストラの薄さはちょっぴり残念なところ。しかし、これは21世紀に残すべき立派な記録でしょう。(26:14)

(2020年12月19日)

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written by wabisuke hayashi