Beethoven 交響曲第6番/Schubert 交響曲第4番
(ジュリーニ/ロサンゼルス・フィル/シカゴ交響楽団)


Beethoven  交響曲第6番/Schubert  交響曲第4番(ジュリーニ/ロサンゼルス・フィル/シカゴ交響楽団) Beethoven

交響曲第6番ヘ長調「田園」(ロサンゼルス・フィル1979年)

Schubert

交響曲第4番ハ短調「悲劇的」(シカゴ交響楽団1978年)

カルロ・マリア・ジュリーニ

DG 429368-2 購入金額不明(日本だと800円くらいだったが)

 おそらくは1991年頃、ミラノの「リコルディ」でジュリーニにすれ違った興奮醒めやらず、残ったイタリア紙幣をミラノ空港で消費するため購入したCDのはず。2005年6月、とうとう、ついに91歳で逝去〜既に引退されて久しいとはいえ、残念至極・・・と、言いつつ、冷静に考えると、彼の代表的な録音はほとんど聴いておりません。おそらくは(ワタシ基準での)廉価盤が少なかったこと、中古出物と(偶然)出合う機会が少なかった、ということでしょう。

 人気高かったと思いますよ。ネット上でも彼の悪口はほとんど聞いたことがない。人格的にも優れていたのでしょう。巨星は次々と消えつつあって、あと10年後のクラシック業界はどうなるのでしょうか。閑話休題(それはさておき)

 ドイツ古典音楽の白眉である「田園」を、生粋イタリア巨匠がアメリカ西海岸のオケで、しかもDG(ドイツ・グラモフォン)に録音する、ということが(おそらくは)なんの違和感も持たれない驚き。彼の音楽は、過激なる異形表現とは無縁の、歌心に溢れた、美しくも穏健な世界に充ちておりました。細部を克明に、入念に歌い込むから、晩年に向け、どんどんテンポが遅くなるという方向を辿りました。

 千度告白するが、ワタシはBeethoven 苦手の罰当たり者〜その中でもとくに「田園」を敬遠気味なのは、少年時代に聴いたカラヤン/ベルリン・フィル(1962年)の、流麗スタイリッシュかつ細部の仕上げが雑な演奏(と、いまでもそう感じる)へのアレルギーだと自己分析しました。ここでのジュリーニは、テンポはそう遅くもないが、あわてず、騒がず、リキまず、しっとりていねいな仕上げ、あくまで上品、漂う気品。ロサンゼルス・フィルって、こんなしっとり肌理(キメ)細やかなアンサンブルでしたっけ?

 第1楽章は、呼吸の深い大きなリズムが刻印されて、ゆったり浮き立つような味わいあくまで優しい。粘着質ではないが、表現が入念なんです。第2楽章「アンダンテ」で、これほど清流が澄んだ水を湛えた様子を彷彿とさせる演奏は聴いたことはありません。オケの各パートが特別セクシーな音色を誇っているわけではないが、各々の出番で聴き手を失望させるような、気の抜いた表現などどこにもないんです。瑞々しいオケは深く、魅力的。弱音に真価が表れます。

 第3楽章「村祭り」もちょっと遠慮がちであり、羽目を外さない。アクセントは入念。やってきた嵐は余裕のスケール感で表現されました。ティンパニ大活躍。威圧感は存在せず、チカラ強さに不足もない。終楽章の、諄々と説得されるような大団円こそジュリーニの真骨頂でしょう。恣意的なテンポ変動などどこにも存在しないが、つねに旋律の隅々に神経を通わせ、微妙にフレージングが揺れ動きます。それが”歌”なんです。

 Schubert は、やはりジュリーニとは関連が深いシカゴ交響楽団となります。ロサンゼルス・フィルとの違いを見るのにちょうどよろしい。アンサンブルがかっちりとして、響きは硬質。明快。こうしてみると先の「田園」はウェットでしたね。オケの馬力、技量の高さは一目瞭然。やや「安易に音が出てしまう」(上手すぎる)印象はあるが、細部入念表現のジュリーニとの相性は良かったと想像されます。

   この作品はクレンペラー/コンセール・ラムルー(1946年)というトンデモ録音で馴染み故、クリアな世界には少々驚かされます。基本、旋律を良く歌わせるジュリーニ路線に間違いはないが、元気の良い楽章では少々”オケ出しゃばりすぎ”の印象か。フレージングの切れ味有過リキみ過ぎな部分も散見されますよ。しかし、明快入念に歌う方針は、この作品に新機軸を加えておりますね。

 表情が晴れやかな「悲劇的」。明るい「悲劇的」。切れ味のよろしい「悲劇的」。そして曖昧さが存在しない。ロサンゼルス・フィルではジュリーニの個性が前面に出ていたが、シカゴ響ではオケと指揮者の個性がぶつかりあったような・・・そんな演奏でしょうか。両作品とも、アナログ末期の優秀録音でした。

(2005年6月24日)


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written by wabisuke hayashi