Bartok 管弦楽のための協奏曲
(フェレンツ・フリッチャイ/ベルリン放送交響楽団)


これはLP時代のデザイン Bartok

管弦楽のための協奏曲

フェレンツ・フリッチャイ/ベルリン放送交響楽団

DG 1957年モノラル録音

 フリッツ・ライナーRCA1955年録音が眼の覚めるのようなステレオ録音なのに、こちらモノラル録音。DGはちょうど端境期だったのでしょう。LP廉価盤時代からお馴染みの音源はパブリック・ドメインに至って自由に聴ける時代となりました。早逝したFerenc Fricsay ( 1914ー1963)は大好きでも、いつまでも昔の録音ばかり聴いても仕方がない・・・ここ数年、歴史的な音源拝聴から遠ざかっておりました。でもね

 ネットから自在に(昔の)音源入手が可能となって、10年ほど前かな?盛んに自主CDを作っておりました。(数年前に止めて在庫整理中)この存在はすっかり失念・・・このオケは現在ベルリン・ドイツ交響楽団、ベルリン・フィルに比べてジミなコンサート・オーケストラだけど、実力派でっせ。この作品は20世紀名曲中の名曲、オケの実力がモノを云う作品、できればぴかぴかの録音で聴きたいけど・・・ま、ガマンしてくだされ。ステレオではないけれど、けっこう鮮明な解像度の高い音質でした。

 第1楽章 Introduzione(序章)。怪しくも神秘な序奏から始まって、シンプルな第1主題が種々管楽器により変容されていかにもローカル、民族的な旋律に変容され、爽快に破壊的でもあります。不協和音なんだろうけど、晦渋さを感じさせぬわかりやすさ、オケは色気も甘さも控えめ硬派な音色が力強いもの。フリッチャイは入念なニュアンスに仕上げて、決然として疾走感も凄い迫力でしょう。

 第2楽章 Presentando le coppie(対の提示)。これって軽快なスケルツォ?冒頭の小太鼓が特徴的剽軽なリズムを刻んで、木管がユーモラスに呼応します。ここはリズム感がキモやな、木管の妙技性に聴き惚れ、弦のピチカート、軽快なるトランペットが合いの手を入れて、ここもオケの技量が問われるところ。そのリズム(小太鼓はずっと継続)を維持しつつ、中間部では金管の美しいコラールも登場しました。こんな(ある意味)小粋な音楽にはめったに出会えぬもの、微妙な揺れ、リズミカル、緻密に味わい深い仕上げの演奏でしょう。

 第3楽章 Elegia(悲歌)。「夜の歌」なんだそう。静かな弦に、木管の怪しい旋律が絡みついて、暗鬱にセクシーな風情満載、やがて木管〜ホルン〜弦+打楽器の絶叫がやってきて、それは 第1楽章 Introduzione(序章)の旋律が変容したもの。この辺り雄弁なスケール表現が問われますよ。ベルリン・フィルの甘美な音色、シカゴ交響楽団のようなハードな切れ味じゃないけど、ベルリン放送交響楽団の重心の低い集中力も称賛したい演奏であります。

 第4楽章 Intermezzo interrotto(中断された間奏曲)。これもシンプルな旋律(Shostakovichの引用とか?)が自在に扱われて、シニカルな風情を醸し出します。ヴィオラによる第2主題は一転、甘美に雄弁なもの。それは即ユーモラスに崩れて、ふざけたような大爆発に崩れて、この楽章は一筋縄では理解できぬ変化有。甘美雄弁な旋律が戻って、冒頭のシンプルな第1主題に戻ります。そのテンポの揺れ、雰囲気の変遷、木管の妙技性に聴き惚れたいところ。そして題名通り「中断された」ようにあっけなく終了。

 第5楽章 Finale(終曲)。雄弁なホルンに導かれて、ヴァイオリンの無窮動が壮絶な迫力、オケの縦線の合い方、リズム感が問われるところ。文句なく上手いもんでっせこのオケ、フリッチャイの統率。やがて諸主題が管楽器によるユーモラスなフーガに引き継がれて、トランペットのファンファーレ、各種金管が雄弁に呼応してフィレーレの盛り上がリを意識させてくださいます。この辺り、圧巻のオケの威力。途中、弦楽器によるフーガが多彩にユーモラスに、それは管楽器ハープに引き継がれて、対位法って云うんですか?やがて弦の無窮動がテンポアップ、テンション高く回帰してコーダ(集結部分)へ。もちろん改訂版「 全管弦楽による更なる盛り上がりを見せて終わるもの 」一気呵成に疾走して終了。

 緻密なアンサンブル+テンションの高さ、変幻自在な各パートの妙技制、ニュアンス、リズム感、忘れ去られるにはもったいない演奏・・・大昔の感動を思い出しました。

(2018年3月10日)

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written by wabisuke hayashi