Barber 弦楽のためのアダージョ/ヴァイオリン協奏曲/William Schuman
(アイザック・スターン(v)/レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィル)


SONY SMK 63088 Barber

弦楽のためのアダージョ(1971年)
ヴァイオリン協奏曲(アイザック・スターン(v)1964年)

William Schuman

古き主張の汝へ(1968年)

シャーンを讃えて(1970年)

レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィル

SONY SMK 63088

 土曜の朝は真面目に音楽と向き合って、手許に溢れ返る膨大なる音源にせめて週一回聴き流しに非ず、真面目に集中するよう心掛けております。昨夜、今週の更新分を決めていたのに、朝一番に聴いた音源にすっかり感心、予定変更したのがこれ。Leonard Bernstein(1918ー1990亜米利加)母国の音楽。William Schuman(1910ー1992亜米利加)という半分アマチュアらしい?作品も真面目に聴いたことはなかった。Samuel Barber(1910ー1981亜米利加)のキャッチ・フレーズは「遅れてきたロマンティスト」〜甘美な旋律がわかりやすい、親しみやすい旋律ばかり。

 弦楽のためのアダージョは深く、甘美な哀しみを湛えた名曲中の名曲。もともとは弦楽四重奏とか、シンプルな編成も映えるかも知れません。入念濃厚な細部描き込みはいかにもバーンスタインらしい、厚みのあるニューヨーク・フィルの弦も好調です。作曲者はこの音楽が葬式に使われるを嫌っていたそう、しかし彼の葬儀にはこの音楽が流れたのも皮肉な逸話でした。(9:54)

 ヴァイオリン協奏曲は調性表記なしだけど実際はト長調?終楽章には無調に至るけれど、これも甘美保守的な旋律が支配的でしょう。二管編成だけど、ピアノが入るのが珍しいかも(←これがけっこう要所で効いている)。Isaac Stern(1920ー2001烏克蘭?→亜米利加)は第1楽章「Allegro」いきなりのたっぷり骨太なヴィヴラートに切なく歌います。穏健に懐かしい風情はハリウッドのRachmaninov風に近いかも。途中激しい慟哭もほんの短い。(10:16)第2楽章「Andante」は印象的なオーボエ・ソロの開始が寂しげ。その風情のまま弦、ホルンが遠くから木霊しつつ、やがてヴァイオリンが静かに、しっとり参入します。ホ長調(ただし嬰ハ短調が支配的)(Wikiより)との指摘どおり、やがて切なく激しい慟哭に至ります。(8:30)第3楽章「 Presto In Moto(無窮動によるプレスト)」は「おおかた無調」(Wikiより)とのことだけど、破壊的不協和音とは無縁の剽軽な躍動が続いて一気呵成であります。(3:54)

 William Schumanの作品はおそらく初耳。「古き主張の汝へ」(To Thee Old Cause) とはホイットマンの詩集「草の葉」の一節より引用されたとのこと。あちこちネットを探ったけれど和訳が探せません。不安げなオーボエのモノローグが延々と続いて、これはHarold Gomberg(1916-1985亜米利加)でしょう。無調であり不安げな風情は晦渋に非ず、身の置どころもなく漂うような静謐が延々と続いて、やがて盛大なる楽器を伴って不協和音がフル・オーケストラに響き渡るもの。ド・シロウト耳にはやや平易な雰囲気の新ウィーン楽派を連想させました。ラストは消えゆくよう。(17:21)

 シャーンを讃えて(In Praise Of Shahn)はあちこち探したけれど、出典発見できず。勇壮な金管ファンファーレに始まるVigoroso(エネルギッシュに)は打楽器が賑々しく絡みます。編成は金管+打楽器のみかと思ったら3:30頃いきなり弦楽合奏に切り替わって怪しく歌って沈静化しました。(6:16) 続くLento (Bar 185 ←意味不明)は弦による葬送の調べ風、祈るように静かに漂います。やがてトランペットが唱和してホルンも参入、主役はそちらに移って、5分過ぎに切迫する、落ち着かぬリズムに変化有。ここにようやく打楽器参入、フクザツなリズムですよ。金管と打楽器の呼応はカッコ良いですね。(10:15)

 全然異なる二人の作曲家だけど、硬軟どちらとも大好きな音楽。

(2021年10月9日)

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written by wabisuke hayashi