Debussy カンタータ「選ばれた乙女」/牧神の午後への前奏曲/
「イベリア」(クラウディオ・アバド/ロンドン交響楽団)


POCG-1285 Debussy

カンタータ「選ばれた乙女」
ダンテ・ガブリエル・ロセッティの抒情詩による女声独唱、女声合唱、管弦楽のための
マリア・ユーイング(ms)
牧神の午後への前奏曲
管弦楽のための映像〜「イベリア」

クラウディオ・アバド/ロンドン交響楽団/合唱団(1986年)

DG POCG-1285 1986年録音

 毎度、週に一度のほんの雑文であります。先週「音楽日誌」に”聴いた”とのみ言及、反省してもうちょっと書き加えておきましょう。

 カンタータ 「選ばれた乙女」といえばD.E. アンゲルブレシュト(古澤淑子 (s))による1957年録音、世評によれば最高!なのに、以前ワタシには歯が立たなかったのが正直なところ。ずいぶん高かったCDボックス(Monningne V4857 5枚組)はオークションにて処分(おそらく入手金額ほど)済。愚かしい行為ですよ。こうしてアバドの音源に出会って、マリア・ユーイングの少々アクの強い、強靭な歌声にすっかり目覚めました。こんな素敵な名曲だったのですね、ここしばらく陶然と聴き入っております。アバドのベルリン・フィル時代(1990-2002)にはあまり興味は持てなくて、最近入手しやすいとは云えぬロンドン交響楽団時代(1979-1988)迄の録音を興味深く拝聴しておりました。

 このCDもそんな一枚、おそらく現在入手難。全集ボックス、まとめてなんぼ!みたいなの出ていましたっけ。

 アンドレ・プレヴィンに鍛えられた(1968-1979)ロンドン交響楽団のアンサンブル、サウンドの洗練に文句なし。「選ばれた乙女」初演は1893年(作曲は1887-1888/26歳頃)、神秘的な旋律が後年ほどの個性豊かな和声に非ず、シンプル素直な妖しさに充ちて絶品。マリア・ユーイングの声にしっかり芯を感じさせる存在感。女声合唱との対話もわかりやすくて、かつてのワタシはこんな素敵な作品旋律サウンドを理解できなかった!夢見るような20分、ロンドン交響楽団ってこんな繊細微妙な音が出るんですね。ちなみに合唱指揮はリチャード・ヒコックスとサイモン・ジョリー、名人揃えておりますよ。

 古澤淑子さんと再会しなくては。華麗なる加齢はこんな素敵な音楽を”再”発見させてくださるのですね。(ブリギッテ・ベイリーズ(語り手)のクレジットがあるけれど、どこですか?)あまり状態のよろしくないデータ拝聴(圧縮しすぎ)でも音質クリアなこことは理解可能。

 「牧神」の作曲前代は(1892-1894)、Debussyとの出会いはまずこれでしょ。短いし、半音階がわかりやすい旋律は官能に充ちて、スリムに洗練された演奏です。その官能性(=エッチなこと)が足りない!?清潔に整い過ぎとおっしゃる方もいるらしい・・・けど、名手ピーター・ロイド(fl)の抑制の効いた深い音色になんの不満があるのでしょう。他の木管群の上手さも群を抜いて、クールな風情絶品!アバドって、あまりいじらないというか、煽ったりしないでも、ツボは押さえて佳き演奏に仕上げますよね。

 「管弦楽のための映像」は20世紀に入ってから(1905-1912)、街の道と田舎の道(Par les rues et par les chemins)/夜の薫り(Les parfums de la nuit)/祭りの日の朝(Le matin d'un jour de fete)から成るスペイン題材の作品也。カスタネット+タンバリンも活躍するアツいリズムな「街の道」開始、賑々しい壮大な響きに力みなし、オーケストラの洗練された技量は余裕でっせ。「夜の薫り」も淡々とスムースに静謐、官能性の表出はこの辺りが限界と思うんだけどなぁ、バランス重視なアバドの表現はオモロくないでしょうか?

 「祭りの日の朝」〜ウキウキとした心象風景を天才はこう表現するのですね。ここはアバドはん、ちょっとクール過ぎでしょうか。(自分の意識の中では)若手からヴェテランに至るまで見守った名指揮者ももう彼岸に渡ったのですね。いくら生演奏が基本と云っても、それはもう望めぬことになりました。合掌。

(2015年7月18日)

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written by wabisuke hayashi