六甲フィルハーモニー管弦楽団 第20回記念定期演奏会(2005年9月11日)
入場無料だし、「ナマ復活」体験は希有なる機会と考えて、ムリして神戸までバスで行って参りました。(往復3,260円)久々の神戸は都会でしたね。ワタシが毎週金曜日お仕事で(大阪から)通っていたのは、1995年阪神大震災迄の8年間でした。道行く老若男女が軽快ノリのよい「関西弁」(ま、各地ビミョーに違うとはいえ)で懐かしい。
いずれ大都会・神戸+無料とはいえ、「復活」でたくさんお客を呼べるなんて・・・日本の聴衆の意識の高さに感心いたしました。贅沢しましたね。 ちょっと出張続きでコメントが遅れたが、感謝の気持ちを込めて少々・・・「アルト・ラプソディ」とはずいぶん渋い演目だし、これもナマ体験の機会は少ないことでしょう。前半、例のごとしの暗鬱なる気分に覆われ、金管もやや不安定だったが、男声合唱が加わると清涼なる救済に会場は満たされました。本多さんはメゾ・ソプラノなんですね。「復活」ともども圧倒的な貫禄と深み。 結論的に「Mahler はナマ」ということです。第1番も第6番も視覚的に楽しめたが、堂々たる声楽陣を加えた大編成の魅力(先にも書いたけれど)舞台裏のバンダの魅力。(何度も出たり入ったり、忙しい)舞台左にコントラバス10人、第2ヴァイオリン右手の対向配置。ホルン12人(嗚呼キリがない!)・・・打楽器6人ですか?(計8人か)膨大なる編成、計算され尽くした詳細凝りに凝った管弦楽技法は(楽譜でも詳細に見れば別なんだろうが)録音如きでは、理解できるはずもない。 例えば第3楽章「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」に於ける、巨大なる「ささら」(お茶道具/和菓子作成道具・・・ではない。楽器名を知らんので)のような「ちゃっ、ちゃっ」という響きの鮮烈なる存在感・・・たしかに良質な録音でその存在は知っていたけれど、大編成のオーケストラの中で驚くべき効果を上げます。*メールにてご教授いただきました。Ruthe(ルーテ)という楽器だそうです。”ささら”とは失礼いたしました。中央のティンパニ君のパーフォーマンスは劇的であって、右側の彼は冷静沈着に合いの手を入れて分担がある(ことはCDではわからない)、ドラ、シンバル(バチで叩くものある)、大太鼓、そして巨大なる板(鐘を表現しているのか)は終楽章でダメ押しの感動を呼びます。 弦の技量が安定しているのは当たり前だけれど、怒濤の金管の鮮度、厚み、CDではあり得ない(どんな大音量でも)ダンゴにならない明快なる響き〜Brahms では「金管がやや安定しない」などと書いたけれど、これだけのテンションをラストまで維持できれば文句ないでしょ。巨魁なる音の固まりが、顔を直撃するド迫力。津幡さん含め、声楽陣の繊細なる完成度にはいっそう感銘深い・・・(会場音響も良好なせいでしょうか)。 巨大なる作品だけれど、ワタシは初めて美しい「復活」の真価を垣間見たような自覚がありましたね。文句ない怒濤の感動!を前提にド・シロウトの戯れ言をちょっとだけ。全体に遅めのテンポでじっくり表現してくださって、大音量で盛り上がっていくところは必ずテンポアップ!ピークでルバートしてタメを作る・・・このパターンが頻出して、ちょっと気になったかな、と。(ごめんなさい)でもさ、そんなテンポ変化にもピタリ!アンサンブルが合うから相当に練習したんだろうし、技量的にもたいしたものです。 お気に入りの作品、素敵な会場、できれば土曜の昼頃の演奏会で、そのあと神戸でゆっくりおいしいもの喰って、飲んで・・・そんな贅沢、一年に一度くらいは・・・夢か。
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